第122代 明治天皇(めいじ)地図

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孝明天皇(第二皇子) 

生母 中山慶子(権大納言中山忠能の娘)

養母 英照皇太后

誕生 …1852年(嘉永5年)9.22  

御名・異称 睦仁(ムツヒト)・祐宮              

皇后 一条美子(昭憲皇太后)

典侍 柳原愛子                          

立太子 …1860年(万延元年)7.10(諸君治定)

即位 …1867年(慶応3年)1.9  在位年数 45年

崩御 …1912年(明治45年)7.30(年齢61才)

皇居 東京    年号 慶応、明治

670年余り続いた武家政治が終わり、政権が幕府から朝廷に奉還されまさに拍動の時代であった。

五箇条の御誓文、東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、兵制改革等が行われ、ついで学制公布、地方巡幸、立憲政治の確立、憲法発布、国会開設、教育勅語等を行い、日清・日露戦争等波乱に富んだ近代化への舵取りを行った。

天皇親政を実現化するため、御座所が設けられ、大久保利通は宮中改革に着手し、女官の総免職を断行した。天皇を取り巻く公家らの因習を廃した。

明治憲法において、天皇の統轄権の総覧者とされ、極めて広範な天皇大権を有したが、実際の天皇権力は決して広大なものではなく、憲法や法律の制約を受けた。元老や枢密院の存在に多元的構造を持ち、天皇が独断的に意志決定を行う事はありえず、絶えず議会の協賛や国務大臣の補弼を受けて政治に臨んだ。

陵墓名 伏見桃山陵

所在地 京都市伏見区桃山町

陵所を堀内村古城山(桃山町)に定め、明治天皇と追号された。

御陵は古城山の南斜面に築造され、墳形は上円下方墳で、それぞれ三段築成となっている。墳丘表面は砂礫をコンクリートで固め、最下段は一辺60.06m(墳丘の総高は20mあり、上円部の高さは6.36m)である。宝壙は上円部中央にあり、規模は東西4.3m、南北5.42mである。内部はコンクリートで固め、板石で覆われている。底に厚さ0.3mの石枕を2本置き、この上に木郭を安置した。木郭は厚さ6cmの板材を用いており、長さ2.55m、幅1.85m、高さ1.79mである。槨外には木炭を充填している。槨内に15cmの木枕2本を置き、この上に霊柩を安置し周囲には石灰を充填している。中央のふた石には陵号である伏見桃山陵と彫られている。この上はコンクリートで覆われ陵詩の石が据えられている。

陵の前には鳥居があり、その前に石柵が構えられ、正面には金色の菊花の紋章をつけた青銅製の門扉がある。陵の後方、左右には土塁がめぐらされている。正面の平地には鴨川、高野川、桂川より集めた黒石を敷き詰めている。