第56代 清和天皇(せいわ)地図

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文徳天皇(第四皇子)
藤原明子(藤原良房の娘)
誕生 …850年(嘉祥3年).25 
御名・異称 惟仁(コレヒト)水尾帝・素真
女御 藤原高子(皇太后)藤原多美子
立太子…850年(嘉祥3年)11.25
即位 858年(天安2年).27(9才)
在位年数 …19年
崩御 …880年((がん)(ぎょう)4年)(年齢31才)
皇居 平安宮 
年号 天安(てんあん)(じょう)(がん)
大鏡によれば、清和天皇の御心は厳しく、顔、形は整って美しかったといわれている。
9才で即位されたので、藤原良房が国政を代行した。藤原氏の摂政はこの時代から始まった。
良房は孫の清和天皇を賢君に育てるため、読書を始め、学者に「孝経」や「論語」等を進講させている。
(さだ)(あきら)親王((よう)(ぜい)天皇)に譲位されたのち、藤原基経の山荘粟田院(のちの円覚寺)で、剃髪し、27才で仏門に入り、大和の諸寺を巡歴、丹波水尾山に入山、帰京後、880年(元慶4年)12月4日円覚寺で崩御された。
陵墓名…(みず)(のお)(やまの)(みささぎ)   円墳   火葬塚…京都市左京区黒谷町金戒光明寺墓地
所在地…京都市右京区嵯峨水尾清和
山稜を起こさずとの遺詔により、「延喜諸陵式」には水尾山稜は乗せていない。
崩御後、愛宕郡上粟田で火葬に付され、水尾山上遺骨が蔵められた。
元兆域は方形に区画され、周囲約200mである。西南に門を設け周囲に透塀を囲すが、墳丘はない。標高330mの水尾山の高地にあり、1863年(文久3年)に修治されたころ、陵上に大小の石が数個あって、梵字が刻まれたものや卒塔婆の破片らしきものがあったといわれている。今は土で覆われて未詳である。
円覚寺の東北に霊祠の清和天皇社がある。