第62代 村上天皇(むらかみ)地図

醍醐天皇(第十五皇子) 
藤原穏子(おんし)(藤原基経(もとつね)の娘)
誕生 926年(延長4年)6.2 
御名・異称 成明(ナリアキラ)・天暦帝
皇后   藤原安子(あんし)
女御 徽子女王、藤原芳子更衣 源計子
立太子 944年(天慶7年)4.22
即位  946年(天慶9年)4.20 
在位年数 22年
崩御 967年(康保4年)5.25 (年齢42才)
皇居 平安宮
年号 天慶(てんぎょう)(てん)(りゃく)(てん)(とく)(おう)()(こう)(ほう)

長く関白を務めた忠平が亡くなると、天皇は左大臣に藤原実頼、右大臣に藤原師輔兄弟をあて、菅原道真の孫の菅原文時を顧問役に登用して、自ら政治を主導しようと努めた。官人の成績を厳格に評価したり、国家財政の健全化をめざして徴税の徹底や歳出の削減に意を用いた。

空也が六波羅密寺を建て、貴族仏教から庶民仏教へと転換して行く。天皇は筆、笙、琵琶等に才があり、文芸的に充実した時代で華麗な王朝文化が開化された。又、常に父醍醐天皇の「延喜の治」を範としている。

平将門、藤原純友の乱も平定されたが、庶民レベルでは、物価高騰のため倹約令を出すとともに、左右の検非違使を併合して市司を兼任させ、検察の措置を徹底化した。後世「天暦の治」として高く評価されている。

天皇の皇子真平親王から出た村上源氏は、後世永く公卿に列して繁栄を誇った。   

陵墓名 (むら)(かみの)(みささぎ)   円墳
所在地 京都市右京区鳴滝宇多野谷
山腹の小さな平坦地を利用して御陵を営む小円墳である。
 一時御陵は所在不明となったが、元禄の検討で現陵を確定し、1889年(明治22年)に修治された。
仁和寺の西にあたり、妙光寺の後山中腹に所在し村上山と呼ばれている。