第90代 亀山天皇(かめやま)地図

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後嵯峨天皇(第七皇子)
大宮院?子(きつし)(西園寺(さね)(うじ)の娘)
誕生 …1249年(建長元年)5.27
御名・異称 恒仁(ツネヒト)、金剛源
皇后 洞院佶子  中宮 藤原?子
立太子 …1258年(正嘉2年)8.
即位 …1259年(正元元年)11.26
在位年数 …16年
崩御 …1305年(嘉元3年)(年齢57才)
皇居 平安宮
年号 正元(しょうげん)文応(ぶんおう)(こう)(ちょう)文永(ぶんえい)
大覚寺統の最初の天皇である。在位中、院政を敷いていた後嵯峨上皇が、蒙古からの使者をことごとく無視し、文永・弘安の役の引き金になった。
1274年(文永11年)1月亀山天皇は後宇多天皇に譲位し院政を行い、元に対する戦備を着々と整えた。その後元は再度攻めてきたが、台風により失敗退去した。
1289子(正応2年)南禅院において落飾され金剛院と号され、1305年(嘉元3年)南禅寺亀山殿で崩御した。
陵墓名 (かめ)(やま)(のみささぎ)    火葬塚 … 京都市右京区嵯峨亀尾町  円墳  空堀
所在地 京都市右京区嵯峨天竜寺内法華堂
亀山殿の後山で火葬され、浄金剛院・南禅寺・金剛峯寺の三yx168.html へのリンクヶ所に納骨された。
法華堂を亀山殿の地に建造し、浄金剛院に遺骨を移した。三ヶ所の分骨所の中で、浄金剛院法華堂を本陵とした。
後嵯峨天皇の嵯峨南陵と東西に併存し、西側が亀山陵である。法華堂は南面する。
南禅寺法華堂は、方約3.6m、高さ約3.3mの規模である。屋根は檜皮葺宝形造で、屋根の頂きに露盤を据え、その上に火炎宝珠を乗せる。前面には、唐破風を付し、唐戸である。南面する。
応仁の乱で南禅院も焼失、1701年(元禄14年)五代将軍綱吉の母桂昌院がこの旧地より西北の地に再建した。