白兎神社
大国主命と八上姫との縁を取り持った白莵を神として祀っている。 豊玉姫命 保食神(うけもちのかみ・古事記には登場せず日本書紀にのみ登場する・月読神参照)が合祀されている。 |
白兎神社は「大黒様と白莵」の神話で知られている神社である。 神話の白兎神を祀る神社。縁結びの神様であり、皮膚病や傷の平癒にもご利益あるとされる。 大和と出雲⇒⇒⇒ |
白兎神が傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したと伝えられる霊池である。 |
天然記念物白兎神社樹叢之碑 | 蒲の花 | |
いかなる旱天・豪雨にも水の増減がないという「不増不滅の池」があり、皮をむかれた赤裸の白兎が真水で身体を洗い、ガマの穂でくるんだといわれている。この周囲には常緑のタブ、シイノキ、アカガシ、ヤブニッケイ、トベラ、モチノキ、カクレミノ、クロキなどの低木多く育っています。 これは北西方向の黒松が冬期の寒風を遮ったために生育したもので、日本海岸地方の原始林景を今に残している重要なものであるため、 昭和12年国指定の天然記念にされました。 |
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天然記念物 白兎神社樹叢(国指定昭和12年12月) |
菊座石 本殿を支える土台石に菊の紋章が彫刻(28弁)してある。全国的にも珍しい。 神社創設が皇室と何らかの関係があったものと云われている。 |
神話因幡の白兎でしられる白兎海岸。 |
淤岐ノ島 | |
気多ノ前 白兎海岸の西側に突出した岬で、白兎神の上陸地とされる。 淤岐ノ島(おきのしま) 気多ノ前から150m沖合にある神話の島で、白兎神が流れついた島だと云われている。 公簿面積2アール、沖の平坦な所は千畳敷と云われ、東西に通ずる洞窟の奇勝もある。 最も高い所は10m余、頂上に黒松、緑草が育ち、四方の眺望は美しいと云われる。 岩は第三世紀層角礫岩である。維新前この島は、池田藩主の遊覧地であった。 |
淤岐ノ島 | |
白兎海岸 神社の北方150mの海岸で白兎神と和邇族との古戦場である。海岸は、東は岩木の鼻、西は気多ノ前(きたのまえ)で限られ小さな湾になっている。 海水は清く澄み、海底の砂が数えられる位と云われる。 夏は東方の水平線からの日の出、夕方は、西の海上への夕日の眺めは絶景である。 |
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白兎海岸には、古事記に記される「因幡の白うさぎ」の伝説よく知られている海岸です。浜の西端には、 伝説に登場する白うさぎがいたとされる淤岐ノ島(おきのしま)があります。 淤岐ノ島は、新生代第三紀中新世前期(約2000万年前)の火山活動により形成された凝灰角礫岩でできています。 淤岐ノ島の周囲には海岸に見え隠れする波食棚(はしょくだな)が発達し、白兎海岸との間に飛び石状に連なっていることから、 伝説では白うさぎが渡った和邇(わに)「ワニザメ」の背になぞらえられています。 |
天然記念物 ハマナス自生南限地帯(国指定大正11年3月)地があり、国の天然記念物に指定されています。 |
杖突坂(つえつきさか) 気多ノ前を上がった、高尾山の中腹にある坂で大国主命が、この先には山坂がないからと、坂を下りた所に杖を突き立て立ち去られた。この坂の跡から、清水が湧き出て、枯れることがない。 恋島 杖突坂の下り口の砂浜に、一部露頭を見せている小島であるが、大国主命がこの島で八上姫を恋したために名づけられた。安政5年に地元の若衆によって一番高い神楽岩の上に石灯籠が建てられた。 |
身千山 社用地の南、日当たりの良い砂山で一帯に黒松が生い茂っていた。 往古、白兎神が蒲の花を敷いて、傷ついた神体を干した山である。と伝えられているが、今は山全部を失って平らな土地のみが残っている。 |
白兎海岸⇒⇒⇒ |
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