詞書に柿本人麻呂・妻死りし後、泣血哀慟して作る歌二首
並びに短歌とあって、まず長歌(巻2−207)とその短歌
ニ首、続いて別の長歌(巻2−210)とその短歌ニ首が歌
碑に刻まれている短歌である。


長歌2−210

うつせみと 思ひし時に 取り持ちて
わがふたり見し 走出(はしで)の 堤に立てる
(つき)の木の こちごちの()の 春 の葉の
茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし
児らにはあれど 世の中を
背きし得ねば かぎろひの
燃ゆる荒野に 白栲(しろたえ)天領巾隠(あまひれがく)
鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす
隠りにしかば 吾妹子(わがもこ)が 形見における
みどり児の  乞ひ泣くごとに
取り与ふる 物しなければ 男じもの
脇ばさみ持ち  吾妹子と ふたりわが宿()
枕づく  妻屋のうちに 昼はも
うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども
逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易(はがひ)の山に
わが恋ふる 妹は(いま)すと 人の言へば
石根(いわね)さくみて なづみ来し 
()けくもそなき  うつせみと
思ひし妹が 玉かぎる  ほのかにだにも  見えぬ思へば


短歌二首(巻2−211、212)は
  去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 照らせども
    相見し妹は いや年さかる

  衾道を 引手の山に 妹置きて
    山路を行けば 生けりともなし


末永く頼んだ妻子であるのに、世の運命に背き
えず落日の如く死んでしまったので、妻の形見
の幼児が欲しがり泣くのに、与える物もないので
脇に抱え、妻と枕を交わした寝室に昼夜を寂しく
嘆き暮らしても、逢うすべもないが、羽易の山
(竜王山)に、恋しい妻がいると人は言うので、
岩根を押し別け、苦しみながら来たところ、少し
もよくない。生きていると思っていた妻は、玉の
ゆらぐような仄かさの中にさえも見えないので。
長歌2−207

天飛ぶや 軽の路は 吾妹子が
里にしあれば ねもころに
見まく欲しけど 止まず行かば
人目を多み 数多(まね)く行かば
人知りぬべみ 狭根葛(さねかずら) 後も逢はむと
大船の 思ひ憑みて 玉かぎる
磐垣渕の 隠りのみ 恋ひつつあるに
渡る日の 暮れ行くが如 照る月の
雲隠る如 沖つ藻の 靡(なび)きし妹は
黄葉吾妹子の 過ぎて去(い)にきと 玉梓の
使の言えば 梓弓 聲(おと)に聞きて
言はむ術 為む術知らに 聲のみを
聞きてあり得ねば わが恋ふる
千重の一重も 慰むる 情もありやと
吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に
わが立ち聞けば 玉襷(たまだすき) 畝火の山に
鳴く鳥のこゑも聞えず
玉桙の 道行く人も 一人だに
似てし行かねば すべをなみ
妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

 
軽の里にひそかに囲い、逢いたいが世間の眼が光
っているので控えていた妻が、日の暮れゆく如く亡
くなったとの報をうけ、人麻呂は急行するが、死ん
だとは信じられず、妻がしばしば出ていた軽の里で
立ち聞いても、妻の声はしないので、仕方なく妻の
名を呼び、袖を振る。


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