飛火野(とびひの)地図
春日参道と循環バス通りの交差点から東南に拡がる芝生の原を「飛火野」と呼ぶ。 延宝九年(一六八一年)刊の『和州旧跡幽考』に、大明神が夜半に鹿道(春日大社の萬葉植物園前を少し 西へ下った辻を「ロクドウノ辻」と呼び、大神が鹿を召されてお着きになった場所が「鹿道」である)へお 着きになり、お足元が暗いので、お供の八代尊が口から火を出して道明りとされ、その火が消えずに時々飛 びまわったので、聖武天皇の御世に、野守を置いて守られたのだという説を伝えている。 |
|||
謡曲「野守」と野守の池 謡曲「野守」は野守の鏡の由来を鬼神物として一曲に脚色したものである。 常盤の国から来た山伏が南部の春日野で由ありげな水をみて、出てきた野守の老人にその名を尋ねると、 「これは野守の鏡と言って、自分たちの影を映す水であるが、昔、この辺の塚に住む鬼神の持っていた鏡の ことでもある。 また、この野で御狩が行なわれた時、逃げた鷹がこの水鏡に映ってたちまち見つかったこともあった」と言って 塚の内に消えた。 不思議な話を聞いた山伏が塚の前で祈ると鏡を持った鬼神が現れ、八方天地を映して見せた後、大地を踏み 破って奈落の底に入って行った。という筋である。 野守の池とは古くは野守の鏡ともいい、飛火野の南部低湿地「鷺原(さぎはら)」のこのあたりあった幻の池である。 謡曲史跡保存会
|