くわしく 室生寺
室生寺略縁起 室生は古代から水神の聖地として知られ、今も竜穴や竜穴神社などにその面影をとどめているが、奈良時 代には皇族の病気平癒析願が行われて霊験があり、こうしたことから八世紀の末期、興福寺の僧賢景が勅命 を奉じて、国家のために建立したのが室生寺である。 賢景は奈良時代末期の高名な学僧であったが、その後を継いだ修円も、空海や最澄と並ぶほど顕教と密教 を兼ねそなえた傑僧で、室生寺の基礎はほほ修円の時代に固められた。だが一説には、室生寺は天武天皇の 勅願によって役行者が開き、後空海が再興したと伝えているが、こうした伝承は、幽邃(ゆうすい)な環境のため れたためで、空海の開いた高野山が、密教の道場として厳しく女人を禁制したのこ対し、室生寺は女人の済 度をはかって登山を許したので『女人高野』」と呼ばれるようになった。 |
|
金堂と金堂内陣
金堂(平安初期・国宝)は、正面側面ともに五間の単層寄棟造りのコケラ葺き。 |
|
十一面観音は、奥壁の須弥壇に安置されている5体の向かって左端。像高195cm。顔が小さくて脚が長い、八等身の長身だが、体形はふくよか。丸く張った頬が女性的だが、古代の絵画に見られる下ぶくれの美女とは違い、丸みのほおの上方にある。細い伏し目、小さな鼻と引き締まった顔立である。 たくさんの装身具を身に着けているのも華やかである。目立つのは胸飾りからつるされた丸い輪宝(りんぼう・宝輪)である。仏が教えを導くことを「教えの宝輪を回す」と言う。 カヤの一本造りで、天衣(てんね)や裳(も)に刻まれたひだは、大波と小波が整然と繰り返す「翻波式衣文(ほんぱしきえもん)」。平安時代前期(9世紀)に特徴的な様式で制作年代を示している。 りんぼう【輪宝】〔「りんぽう」とも〕 (仏) @理想の王とされる転輪王の七宝の一。車輪の形をし,王の外出の際にはその前を進んで障害を打破する。仏の教説にたとえる。 A@をかたどった密教の仏具。悪を打破するとされる。 大辞林 第三版 |