くわしく 室生寺

室生寺略縁起

 室生は古代から水神の聖地として知られ、今も竜穴や竜穴神社などにその面影をとどめているが、奈良時

代には皇族の病気平癒析願が行われて霊験があり、こうしたことから八世紀の末期、興福寺の僧賢景が勅命

を奉じて、国家のために建立したのが室生寺である。

 賢景は奈良時代末期の高名な学僧であったが、その後を継いだ修円も、空海や最澄と並ぶほど顕教と密教

を兼ねそなえた傑僧で、室生寺の基礎はほほ修円の時代に固められた。だが一説には、室生寺は天武天皇の

勅願によって役行者が開き、後空海が再興したと伝えているが、こうした伝承は、幽邃(ゆうすい)な環境のため
に密教的な色彩の強くなったこの寺が、次第に真言宗に傾くとともに、その宗祖空海と深い係りがあったと説えら

れたためで、空海の開いた高野山が、密教の道場として厳しく女人を禁制したのこ対し、室生寺は女人の済

度をはかって登山を許したので『女人高野』」と呼ばれるようになった。  

金堂と金堂内陣

 金堂(平安初期・国宝)は、正面側面ともに五間の単層寄棟造りのコケラ葺き。
江戸時代に正面の一間通しに外陣を付け加えているが、のびやかな屋根の線と石垣上に張り出したこの外陣が調和して、かえって独特の建築美をあらわしている。
 内陣には、238センチ余の堂々とした一木造りのご本尊、釈迦如来立像(平安初期・国宝)を中心に、向かって右側に薬師如来像、地蔵菩薩像(平安初期・重文)左側に文殊菩薩(平安初期・重文)、十一面観音菩薩像(平安初期・国宝)の各像が並び、その前に配された長いテーブル状の段に、運慶の作と伝えられる十二神将像(鎌倉時代・重文)が一列に並べられている。
 特に左側に立つ華麗な十一面観音像は、ほぼ等身大の一木造りの像で、作風は本尊に近く洗練された感覚と技巧の作として注目される。しかし肩の張りや脚部の量感表現に平安初期の形式が守られているものの、衣の襞や優美な顔容のつくりなどに、平安中期の様式を暗示するものを持っている。
 本尊の背後にある大きな板壁には、インドの古代神話で降雨の神とされている、珍しい帝釈天曼荼羅図(平安初期・国宝)が画かれている。

 十一面観音は、奥壁の須弥壇に安置されている5体の向かって左端。像高195cm。顔が小さくて脚が長い、八等身の長身だが、体形はふくよか。丸く張った頬が女性的だが、古代の絵画に見られる下ぶくれの美女とは違い、丸みのほおの上方にある。細い伏し目、小さな鼻と引き締まった顔立である。
 たくさんの装身具を身に着けているのも華やかである。目立つのは胸飾りからつるされた丸い輪宝(りんぼう・宝輪)である。仏が教えを導くことを「教えの宝輪を回す」と言う。
 カヤの一本造りで、天衣(てんね)や裳(も)に刻まれたひだは、大波と小波が整然と繰り返す「翻波式衣文(ほんぱしきえもん)」。平安時代前期(9世紀)に特徴的な様式で制作年代を示している。 
 
りんぼう【輪宝】〔「りんぽう」とも〕
(仏)
@理想の王とされる転輪王の七宝の一。車輪の形をし,王の外出の際にはその前を進んで障害を打破する。仏の教説にたとえる。
A@をかたどった密教の仏具。悪を打破するとされる。
大辞林 第三版