浄楽寺地図
浄楽寺の収蔵庫には、中央に阿弥陀如来坐像と脇侍の観音、勢至菩薩、両脇に不動明王と毘沙門天の5体が並んでいる。 運慶作を示史料がありながら、浄楽寺像が運慶作と判明するまでは学界は長く、運慶作と認めなかった。 浄楽寺の5体は1959年から仏像彫刻史の故久野健氏らが調査し、毘沙門天と不動明王の像内から「和田義盛と妻を施主に運慶が小仏師10人と1189年に造った」旨が記された銘札が見つかった。 阿弥陀如来と両脇侍の像内にも同じ書風の墨書があった。 北条時政も和田義盛も鎌倉時代の御家人。時政は伊豆、義盛は三浦半島南部を拠点にした武士団の長。頼朝の死後、義盛は北条氏と争い滅びる。 諸像は力強さや重量感が平安末期の京都の美麗な仏像と違う。運慶は貴族の美意識に縛られていなかった。すでに武士の時代が始まっていた。新時代の精神を天才・運慶はいち早く体現していた。「都らしからぬ作風」という理由で運慶作であることを認めなかった学界のほうが平安時代の美意識に縛られていた。 2014−2−15 朝日新聞から引用 |