ヲタカ塚古墳地図
●立地:櫛山古墳から東南東の方向に位置する。 ●規模:全長約 70 m、後円部径約 50m、 前方部幅約 30m程と考えられているが、天理市による調査がおこなわれ、古墳全体が ●墳丘:主軸を北東〜南西にとる前方後円墳で周濠を持ち、カマトギ池は周濠を元に開削した結果できたものと考えられている。 ●年代:古墳時代後期。 ●調査歴:2001年に調査し、古墳が大幅に改変されていることを確認。 ●主な遺物: 須恵器、 土師器。 ●文献:奈良県教育委員会 1981『磯城磐余地域の前方後円墳』奈良県史跡名勝天然記念物調査報告第42冊、青木勘時 2001「ヲカタ塚古墳」 |
渋谷向山古墳の北東に位置し、古墳時代の前方後円墳である。これまで詳細は不明といわれていたが、平成19年に天理大学がレーダーで 探査した結果、全長140mの前方後円墳であることが分かった。墳丘の東側のカマトギ池から大和平野の眺望は素晴らしい。 |
マバカ古墳 地図
見田・大沢一号墳と同じように、菱形の 角の部分から前方部が出ている。 |
マバカ古墳は、大和 (萱生) 古墳群の南寄りに位置する前方後円墳で、 墳丘 の全長は、約80mの規模に復元される。明治年間の記録では、 勾玉・管玉が 出土したというが、 埋葬施設の状況は明らかでない。 道路建設に伴う発掘調査 では、古墳前方部の西側において濠状の区画や、池状の落ち込みなどの遺構が 検出された。 また、古墳北西部の調査では、幅27mほどの川川跡から大量の古式土師器や 須恵器、円筒植輪などの遺物が検出され、 古墳の南側の調査では、 古式土師器 をふくむ溝や土坑などの遺構が検出された。 古墳は、 墳形や周辺の出土遺物か ら、大和(萱生)古墳群の中でも、 最も遡る時期に築造されたものであると考 えられる。 |
刀根早生柿について 「刀根早生」は、渋柿の優良種で、当地の奈良県天理市萱生町刀根淑民氏により発見され、昭和五十五年に品種 登録されました。 この柿は、「富有」、「平核無」とともに日本の柿の三大品種のひとつです。 食味や色あいが優れ、渋柿の持つ果肉の柔らかさとジューシーな感覚が消費者の味覚にマッチし、根強い人気と 支持を受けています。 奈良県をはじめ他県でも普及し、全国で二千三百ヘクタール栽培され、柿産業を大きく発展させてきました。 刀根早生」発祥の地として後世に長く伝え、柿産地の益々の繁栄を期するため、奈良県果樹研究会が中心とな り、県内柿生産者や出荷組合、奈良県、天理市など関係市町村、奈良県農協など農業団体、市場など関係業者等 の協力により顕彰碑を建設しました。 平成十一年七月 刀根早生顕彰碑建設委員会 |
前方後円墳とも前方後方墳とも呼べな い奇妙な形をしている。 方形の後方部にあたる部分が四角くな っていて、しかも四角なっているその角の 部分から前方部がでている。つまりこれ は、菱形の後方部を持っている古墳とい うことになる。 |
星塚古墳 地図
二つの方墳が連結するような 形で築かれている。 正確には前方後方墳とも呼べ ない。 |
2022−10−17 朝日新聞 |
2号墳と重なように築かれた星塚1号墳の濠から出土した、 古墳時代では唯一の木製横笛。 |
星塚2号墳は穂積押山の可能性がたかいといわれる。 穂積押山は、百済との交渉役として「日本書紀」に登場する。 当時の継体天皇の信頼が厚かったことがうかがわれる。 |
星塚古墳と同じ様に、 二つの方墳が連結するような 形で築かれている。 正確には前方後方墳とも呼べ ない |
渋谷向山古墳の東側に位置し、古墳時代前方後円墳。約120m、詳細は不明。 |
ノベラ古墳地図
●立地:崇神天皇陵の西側、上ッ道沿い ●規模:削平が激しく、不明だが推定長約 70m。中央に高さ約 2.4mの高まりが残る。 ●墳丘:南北に軸をとる前方後円墳か前方後方墳と見られる。埴輪は認められず、周濠の痕跡もない。 ●埋葬施設:不明。 ●年代:墳形や周囲の古墳の状況から古墳時代前期とみられる。 ●文献:千賀久1981「ノベラ古墳」『磯城磐余の前方後円墳』奈良県史蹟名勝記念物調査報告書第 42 冊 奈良県立 |
JR柳本駅から南400mいくと、田畑の間に柿畑が見える。削られて殆ど原型をとどめない。詳細は分からない。 |
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