飛鳥~奈良時代(万葉集の時代)衣装解説  向日市文化資料館  山口 千代子

飛鳥時代・ 推古朝の衣装 (聖徳太子没後製作の天寿国繍帳に見ることができる)

推古天皇11年(603)に我が国最初の服制である冠位十二階が制定される(色の濃淡で12階)

位階      徳  仁  礼  信  義  智

上衣 色名   紫  青  赤  黄  白  黒

服装によって位階の標識が表示されることになる。冠と服色は同じ、左衽


藤原京時代の衣装 (高松塚古墳壁画像に見ることができる)

服制は朝鮮風から唐風に移行の過渡期だが高句麗系ファッションが感じられる


天武·持統朝の服色(685年· 48階)

官位名称  親王明位  諸王浄位  臣下正位  臣下直位 臣下勤在   臣下務位  臣下追位  臣下進位

色彩名称  朱華     朱華     深紫     浅紫    深緑     浅緑     深葡    浅葡萄  

・冠は黒漆紗冠のみ。袴は白色のみ、左衽

・領巾(ひれ)は禁止された .手に翳(サシバ)を持つ 飛鳥時代は円形・奈良時代は楕円形となる


奈良時代・平城京

大宝律令(701)・養老律令(718)の制定  833年令義解(りょうのぎげ・養老律令の注釈書)

(大宝律令を改定されたのが養老律令、共に現存していないが約100年後の令義解から分かる)

礼服・朝服・制服の服制が定まる  養老律令の中の衣服令(えぶくりょう)で細かく決められた。

それは身分や位の違いによって公服を、礼服・朝服・制服に分けて規定された。

礼服(らいふく)・・・5位以上の貴族が重要な祭祀、大嘗祭、元旦のときに着る服

           後には即位の大礼にのみ用いられ、孝明天皇の即位(1847)まで用いられた。

朝服(ちょうふく)・・・,官人が宮廷の公事に携わる際に着用する服。(文官・女官の最も日常的な宮廷服)

制服(せいふく)・・・般庶民が公務の時に貸与される衣装(公務員のユニフォームと同じ)雀表等


服の特殊性

古来から日本の衣服は直線裁ちと思われてきました。しかし、遣唐使が持ち帰った衣服は現代の洋服の

ルーツといえる。男性は体にフィットする機能性を備え、脇は曲線にカットされていた。

女性は袍(筒袖のブラウス)に背子(ベスト)を重ね着して裳(プリーツの巻スカート)をはき、飾り

帯、肩にはおしゃれな領巾(ストール)

日本の歴史の中で古代にも洋服といえる一時代があったのです。


718年服制  ・.深色(ふかきいろ)何回も染めて濃くする   ・.浅色(あさきいろ)回数が少ない


官位名称   親王   王    臣     臣    臣     臣    臣     臣     臣    初位  
        1~4品 1~4位 1位   2・3位  4位    5位   6位    7位    8位    
色彩      黑紫   黑紫  浅紫   浅紫   深緋    深緋  深緑    浅緑   深縹   深縹



男性衣装

   袍(ほう)・・・公事に携わる際に着用する上着

   袴・・・.パンツ  5位以上は裾に赤い布付き(正式は赤い袴をはき、その上に少し短い白袴を重ねる)

   冠・・・.帽子(本物は漆紗冠(しっしゃかん) 絹に漆を塗って固める.)

   笏・・・.男性貴族が手に持っているのは笏(しそく)で、長さがほぼ1尺からそう呼ばれる。5位以上は

       象牙、以下は木。貴族の威儀を表す小道具だが、もともとは木で出来ていた。重要な公事の折り

       式次第など大切な事を墨で書いておくメモ帳の役目をしたという説もある。

   佩飾品(はいしょくひん)・・・ 腰には必ず木簡を削る小刀をぶら下げておりました。.

       他には魔除の水晶玉や琥珀、勾玉、魚の形のガラスさしなど、身分の高い人ほどたくさん

       つけていました。今のストラップのようなアクセサリーとしていたのかもしれない。

女性衣装

   袍(ほう)・・・着物  背子(はいし)・・ベスト (別名 からぎぬ)

   裳(も)・・・ .スカート (本物は巻きスカートになっている)

   翳(さしば)・・・.高貴な人は人前で素顔をみせることはなく、自分で顔を隠す小道具。また、

            もう少し大きなサイズの翳を女官が持って、高貴な人のお顔を両側から隠すのもある。

   領巾(ひれ)・・・もともとは騎馬民族が埃よけ寒さ凌ぎに顔に巻いていた実用品が、おしゃれな

            ストールとなった。男性の気を引いたり、別れを惜しんだり、魔よけともなった。

   宝髻(ほうけい)・・・ヘヤースタイルで長い髪を結いあげていた。

           5位以上の女性(ミス ミセスの高貴な女性貴族で飾りは金銀細工に玉) 又はミセス

   双髻(そうけい)・・・ミスのヘヤースタイルで長い髪を結いあげていた

            かんざし飾りは象牙に彩色したもの。また魔除けにつげのくしを刺した。

   花鈿(かでん)・・・.女性の額の化粧    よう鈿(ようでん)・・・口元にほくろを描く化粧

袖が長いのは唐の衣装と同じデザイン

発生地は騎馬民族(現在のウイクル チベット自治区)の衣服で、馬に乗るのに便利なツーピース型(上着と

ズボン)。それが唐のニューファッションとなり、中国全土に広がり奈良時代にそのまま日本に遣唐使が持ち

帰った。 チベットの気候は朝晩の寒暖の差が30度以上あり、寒さにも凌げるデザインになっている。

手綱を握るのに手袋の役目も果すので袖を長くした。その為襟も首の詰まったハイネック。昼間は袖はたくし

上げ、襟も開けたようだ。その後、ツーピース型デザインは全世界に広がり、現代の洋服のルーツとなった。

日本の服装史の中で古代にも洋服の一時代があったと言える。

長岡京時代の衣装

    平安時代に入ると遣唐使が廃止され、女性貴族衣装の背チは衿無しとなり、裳の上に着るようになる。

    日本固有の文化が花開き、直線裁ちの十二単と変遷していきます。