補陀落山寺地図
熊野古道の中辺路と大辺路が分岐する海辺にあり、隣接 する熊野三所大神社とともに、「渚の宮」「浜の宮王 子」などと呼ばれていた。日本宗教史上の大きな謎とされ る「補陀落渡海」の根拠地として古くから知られ、世界遺 産にも登録されている。 記録に残るこの寺の渡海上人は20人。境内には那智参詣 曼荼羅図を元に復元された渡海船があり、裏山の木の根道 を上ると、渡海上人たちの古ぴた墓と、やはりこの沖で入 水したとされる平維盛の供養塔が静かにこけむしている。 維盛は清盛の嫡孫で平家随一の美男子。「平家物語」で は島の松に3代の名を書き残して入水しているが、実はこ れで源氏方の目を欺き、山中に落ち延びて平和に暮らした という落人伝説も残る。 寺の開祖は「仏教公伝」以前の仁徳朝にインドから漂着 した裸形上人との伝承があるが、神社には神武東征軍に殺 されたと「記紀」にある丹敷戸畔命(にしきとべ)も「地主ノ神」として 祀られている。戸畔は先住民集団の女性首長の呼称とい う。すると卑弥呼か、もののけ姫、いや元祖ナウシカか。 一帯は古代史の謎も深い。 室町様式の本堂は間口約15. 5 m。1990年に再建さ れた。秘仏の本尊は平安後期の作とされる見事な十一面千 手観音像で国の重文だ。 現在は波打ち際まで約200 m。温泉や世界遺産情報セ ンターもある那智駅のガードをくぐれば砂浜が広がる。波 間には井上靖の小説「補陀落渡海記」で有名になった金光 城の名を冠した島も見える。 日本人の心のひだを幾重にも深めてきた歴史と宗教心の不 思議な重なりを改めて実感できる地だ。 (佐伯善照) 補陀菃渡海,,海の観音浄土へ小舟で向か う捨身行(しゃしんぎょう)。根井浄(ねいきよし)·元龍谷大学教授 |