箸墓古墳 地図

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 東側に古代の直線道路「上ツ道」が通り、南東には大物主神が鎮座する三輪山がある。 
   
 箸墓は第7代孝霊天皇の皇女で第10代崇神天皇の叔母倭迹々日百襲姫を葬ると伝え箸の墓、
箸塚とも呼ばれる。耶馬台国の有力候補地とされる纏向遺跡の中にある。
 通ってくる男が三輪山神と知って、自殺した姫の墓だという神話を伝え、
また、陵墓の築造にあたっては昼間は人がつくり、夜は神がつくったという伝説を持ち、
その石材は二上山からリレー式に手運びされたという。
「大坂に継ぎ登れる 石群を 手ごしに越さば 越しかてむかも」と詠った歌が伝えられる。 
 墳丘部分は、第7代孝霊天皇の皇女、倭迹々日百襲姫の陵墓として宮内庁が管理している。
 桜井市が国史跡の指定を目指している。隣接する約1万5千平方m。ほとんどが民有地にあたる。
他の陵墓周辺の史跡指定は、応神天皇陵がある。

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 箸墓古墳は、古墳時代前期で最大規模を誇り全長280mの巨大な前方後円墳である。
3世紀から後半(放射性炭素による測定法による研究成果として240〜260年ごろ)に、
我国で最初に築造された巨大前方後円墳の原形とみられ、古墳時代の始まりとされる。
全長200mを超える巨大古墳としては最も古く、全国の前方後円墳のモデルとなったと考えられている。
 魏志倭人伝の記述から卑弥呼の死亡時期は250年ごろとされる。
 後円部は五段に構築されており、前方部が三味線のばちのように開き、後円部に頂上部分が、
全面にこぶし大の丸石を厚く積んだ特異な構造となっていて、ほかの古墳にはみられない構造となっている。
香川、徳島、兵庫(播磨)など瀬戸内東部地域では、3〜4世紀に土ではなく
石を積んだ「積石塚(つみいしづか)」と呼ばれる古墳が多く築かれる。
奈良県下第3位、全国第11位の大きさ。
 大型前方後円墳は、5世紀に至るまで、古墳の頂上部分に大きな穴を開け、
その中に棺を納める竪穴系の埋葬施設が主流であった。
埋葬後に密封され、位置は後円部頂上中央の地下付近が原則となっている。
 ばち形の前方部を持つ箸墓古墳の相似墳は、西日本で20基が確認されている。
 奈良県に西殿塚古墳黒塚古墳中山大塚古墳
 京都府に元稲荷古墳、五塚原古墳、椿井大塚古墳(つばいおおつか)
 大阪府に禁野車塚古墳(きんやくるまづか)がある。
これらは、大和の勢力が瀬戸内海へのルートを確保していた同盟者達と考えられる。
  箸墓古墳を耶馬台国の女王卑弥呼、西殿塚古墳を卑弥呼の後継者台与(とよ)の説も根強い。
  
 
箸墓古墳の被葬者は⇒⇒⇒ 
 
 2022 産経新聞(夕刊)

二上山と箸墓古墳 畝傍山(左)耳成山(右)と箸墓古墳(手前) ホケノ山古墳と箸墓古墳
 ホケノ山古墳は、全長80mの前方後円墳で、三世紀後半に築造されたと推定されており、
わが国で最も古い部類の前方後円墳であるといわれている。
 ホケノ山古墳を築く労働力が延べ4万5千人に対して、箸墓古墳は135万人もの人員であった。

  倭迹迹日百襲姫命
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 「日本書紀」祟神天皇10年の条に、倭迹迹日百襲姫命(孝霊天皇皇女・崇神天皇大伯母)が御諸山神である大物主神の妻になったとする「三輪山神婚譚」と呼ばれる伝承がある。
 倭迹迹日百襲姫命は、大物主神の妻となった。しかし、その神はいつも昼に現れないで夜だけやって来た。倭迹迹日百襲姫命は、夫に「あなたはいつも昼間来られないので、はっきりとあなたの顔を」見ることは出来ません。どうぞしばらくの間留まって居て下さい。明朝に、謹んで美しい容姿を見せていただきたいと思います」と言った。大神は、それに答えて、「道理はよくわかった。わたしは、明朝、あなたの櫛笥に入っていよう、どうかわたしの姿に驚かないでくれよ」と言われた。そこで倭迹迹日百襲姫命は、心の中でひそかに疑われた。朝になるのを待って櫛笥を開けてみると、実に美しい蛇が入っていた。その長さや太さは衣紐のようであった。倭迹迹日百襲姫命は、驚いて叫んだ。そのとき、大神は恥辱を感じて、たちまち人の姿になられて。そして、妻に、「あなたは我慢できないでわたしに恥をかかせた。わたしは報復としてあなたに恥をかかせるであろう」と言った。そして、大空を舞って、御諸山に上がられた。倭迹迹日百襲姫命は、御諸山を仰ぎ見て後悔し、思わずどすんと腰を下ろした。そのとき、箸が陰部に突き刺さって薨じられた。そこで大市に葬った。それで、時の人は、その墓を名づけて、箸墓というのだった。この墓は、昼は人が作り、夜は神が作ったのである。
三輪山磐座⇒⇒⇒
 倭迹迹日百襲姫命は、耶馬台国大和説では、女王の卑弥呼に擬せられている人物である(最近年代が近づいてきた)。魏志倭人伝に248年ごろ亡くなったと記されている卑弥呼の墓
とみる研究者も多い。  トトヒ:飛ぶ(巫女が神のところに)
 卑弥呼を神功皇后とみる説、倭姫とみる説などがある。
 5世紀にになり、韓半島の影響をうけて新たな横穴式石室の埋葬施設が登場する。
横穴式石室は、棺を納める玄室という部屋に通路と入口を設けたため、出入りが可能となる。
動画     箸墓古墳と三輪山⇒
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