箸墓古墳 地図

 山の辺の道 散策ガイド 飛鳥 散策ガイド 
 東側に古代の直線道路「上ツ道」が通り、南東には大物主神が鎮座する三輪山がある。 
   
 箸墓は第7代孝霊天皇の皇女で第10代崇神天皇の叔母倭迹々日百襲姫を葬ると伝え箸の墓、
箸塚とも呼ばれる。耶馬台国の有力候補地とされる纏向遺跡の中にある。
 通ってくる男が三輪山神と知って、自殺した姫の墓だという神話を伝え、
また、陵墓の築造にあたっては昼間は人がつくり、夜は神がつくったという伝説を持ち、
その石材は二上山からリレー式に手運びされたという。
「大坂に継ぎ登れる 石群を 手ごしに越さば 越しかてむかも」と詠った歌が伝えられる。 
 墳丘部分は、第7代孝霊天皇の皇女、倭迹々日百襲姫の陵墓として宮内庁が管理している。
 桜井市が国史跡の指定を目指している。隣接する約1万5千平方m。ほとんどが民有地にあたる。
他の陵墓周辺の史跡指定は、応神天皇陵がある。

 卑 弥 呼   
降臨  三輪山  纏向  日本の神話  
メクリ1号 箸墓 三輪山伝説  纏向遺跡   大嘗祭 
女帝を考える  箸墓古墳被葬者  リヨウサンの池  卑弥呼 
中平銘鉄刀と七支刀  東大寺山古墳と謎の銘文鉄刀 飛鳥時代とは  桧原神社 和田萃  
衾田陵  比淘蜷_  東大寺山古墳発掘調査 巨大古墳の謎  
天皇陵古墳を歩く 箸墓古墳  耶馬台国とはどのような国だったか  稲荷山古墳  佐紀古墳群  
三角縁神獣鏡 桜井茶臼山古墳  仁徳天皇陵  古墳時代 
黒塚古墳  黒塚古墳 東大寺山古墳   
日本語表記の始まり  補陀落山寺  古墳は語る  
卑弥呼は何十人何百人といた  藤原不比等  山の辺の道(東山魁夷)   
京都・五原塚古墳  古墳の構造  高松塚壁画現状模写   
ホケノ山古墳   蛇・龍について   日本の神話    
 箸墓古墳は、古墳時代前期で最大規模を誇り全長280mの巨大な前方後円墳である。
3世紀から後半(放射性炭素による測定法による研究成果として240〜260年ごろ)に、
我国で最初に築造された巨大前方後円墳の原形とみられ、古墳時代の始まりとされる。
全長200mを超える巨大古墳としては最も古く、全国の前方後円墳のモデルとなったと考えられている。
 魏志倭人伝の記述から卑弥呼の死亡時期は250年ごろとされる。
 後円部は五段に構築されており、前方部が三味線のばちのように開き、後円部に頂上部分が、
全面にこぶし大の丸石を厚く積んだ特異な構造となっていて、ほかの古墳にはみられない構造となっている。
香川、徳島、兵庫(播磨)など瀬戸内東部地域では、3〜4世紀に土ではなく
石を積んだ「積石塚(つみいしづか)」と呼ばれる古墳が多く築かれる。
奈良県下第3位、全国第11位の大きさ。
 大型前方後円墳は、5世紀に至るまで、古墳の頂上部分に大きな穴を開け、
その中に棺を納める竪穴系の埋葬施設が主流であった。
埋葬後に密封され、位置は後円部頂上中央の地下付近が原則となっている。
 ばち形の前方部を持つ箸墓古墳の相似墳は、西日本で20基が確認されている。
 奈良県に西殿塚古墳黒塚古墳中山大塚古墳
 京都府に元稲荷古墳、五塚原古墳、椿井大塚古墳(つばいおおつか)
 大阪府に禁野車塚古墳(きんやくるまづか)がある。
これらは、大和の勢力が瀬戸内海へのルートを確保していた同盟者達と考えられる。
  箸墓古墳を耶馬台国の女王卑弥呼、西殿塚古墳を卑弥呼の後継者台与(とよ)の説も根強い。
  
 
箸墓古墳の被葬者は⇒⇒⇒ 
 
 2022 産経新聞(夕刊)

二上山と箸墓古墳 畝傍山(左)耳成山(右)と箸墓古墳(手前) ホケノ山古墳と箸墓古墳
 ホケノ山古墳は、全長80mの前方後円墳で、三世紀後半に築造されたと推定されており、
わが国で最も古い部類の前方後円墳であるといわれている。
 ホケノ山古墳を築く労働力が延べ4万5千人に対して、箸墓古墳は135万人もの人員であった。

  倭迹迹日百襲姫命
リョウサンの池  三輪山  崇神天皇 
年表前88年  箸墓三輪山伝説  神御前神社 
大物主 大国御魂 天皇陵古墳を歩く
三輪山磐座  箸墓古墳  古墳は語る 
山の辺の道 日本の神話   
 「日本書紀」祟神天皇10年の条に、倭迹迹日百襲姫命(孝霊天皇皇女・崇神天皇大伯母)が御諸山神である大物主神の妻になったとする「三輪山神婚譚」と呼ばれる伝承がある。
 倭迹迹日百襲姫命は、大物主神の妻となった。しかし、その神はいつも昼に現れないで夜だけやって来た。倭迹迹日百襲姫命は、夫に「あなたはいつも昼間来られないので、はっきりとあなたの顔を」見ることは出来ません。どうぞしばらくの間留まって居て下さい。明朝に、謹んで美しい容姿を見せていただきたいと思います」と言った。大神は、それに答えて、「道理はよくわかった。わたしは、明朝、あなたの櫛笥に入っていよう、どうかわたしの姿に驚かないでくれよ」と言われた。そこで倭迹迹日百襲姫命は、心の中でひそかに疑われた。朝になるのを待って櫛笥を開けてみると、実に美しい蛇が入っていた。その長さや太さは衣紐のようであった。倭迹迹日百襲姫命は、驚いて叫んだ。そのとき、大神は恥辱を感じて、たちまち人の姿になられて。そして、妻に、「あなたは我慢できないでわたしに恥をかかせた。わたしは報復としてあなたに恥をかかせるであろう」と言った。そして、大空を舞って、御諸山に上がられた。倭迹迹日百襲姫命は、御諸山を仰ぎ見て後悔し、思わずどすんと腰を下ろした。そのとき、箸が陰部に突き刺さって薨じられた。そこで大市に葬った。それで、時の人は、その墓を名づけて、箸墓というのだった。この墓は、昼は人が作り、夜は神が作ったのである。
三輪山磐座⇒⇒⇒
 倭迹迹日百襲姫命は、耶馬台国大和説では、女王の卑弥呼に擬せられている人物である(最近年代が近づいてきた)。魏志倭人伝に248年ごろ亡くなったと記されている卑弥呼の墓
とみる研究者も多い。  トトヒ:飛ぶ(巫女が神のところに)
 卑弥呼を神功皇后とみる説、倭姫とみる説などがある。
 5世紀にになり、韓半島の影響をうけて新たな横穴式石室の埋葬施設が登場する。
横穴式石室は、棺を納める玄室という部屋に通路と入口を設けたため、出入りが可能となる。
動画     箸墓古墳と三輪山⇒
 全動画⇒⇒⇒  
大国御魂神 古墳 天孫降臨の最大の問題 
天照大神 佐紀古墳群 大直禰子神社
檜原神社 纏向遺跡 箸墓古墳
穴師坐兵主神社 纏向 大和神社
大神神社 三輪山と二上山 垂仁天皇
豊鍬入姫宮 佐紀御陵山古墳 稲荷山古墳
崇神天皇 邪馬台国とはどのような国だったのか  ヤマト王権
オオヤマトの古墳・宮址と三輪山祭祀 京都・五原塚古墳  菅原天満宮 
ちゃんちゃん祭り  ホケノ山古墳   古墳時代