仏像 明王



明王(みょうおう)

 如来から強いパワーを与えられている。如来の命令を受けてどんな悪い人間をも救う役目の仏である。
そのため、明王の仏たちは、こわい顔をしているが、同時にやさしい仏であることも、手や胴体の表現で表している。
 インド教湿婆神(しばしん)の異名がそのまま仏教に取り入れられ明王となった。仏教では明王は如来の使者的な性格があたえられていたが、後五明王の全部大日如来の眷属となり仏法の守護神となった。
特に真言の行者を守護し、一切の悪魔を降伏するものとして忿怒身の勇猛無比の姿で表わされる。

●明王と天

菩薩の道の途中にある障害や悪魔をのりこえ、たたかえるたくましい力と知恵

の仏が怒りの”明王"であり、まわりでわれわれの前進をたすけ、まもり、はげ

ましてくれる神々を"天“ (多聞天,吉祥天など)という。



五大明王(ごだいみょうおう)


不動明王を中心として降三世軍荼利大威徳金剛夜叉の四明王を東西南北に配したものを五大明王という。
金剛界にあって、五智如来を加える場合もある。
日本で五大明王の信仰は、平安時代に仁王経によって流行し、また藤原時代には宝輪をもった不動明王を中心に配した仁王経曼荼羅図が作られた。その効力は災難即滅である。
金剛夜叉
西
大威徳
不動明
降三世
軍荼利


愛染明王(あいぜん)

 梵名を、らがーじゃといい、羅我(らが)とは赤色・愛情・情欲の意味で、愛欲、貧染をそのまま浄菩提心にせしめる明王で、煩悩即菩提の本尊とされる。
像は、赤い日輪を背にし、三目六臂の忿怒相である。獅子冠を戴いた真紅の像で、六臂には蓮華、五鈷、弓箭(きゅうせん)、宝鈴を持ち、赤蓮華台に結跏趺座する。蓮華台の下には宝瓶がある。
悪心降伏の祈願に修される。

 愛染明王は、人々の愛欲や煩悩がそのまま悟りであることを表わした仏像。
髪を逆立てて、かっと目を見開いた憤怒の表情は必死に愛を説いている姿という。
古くから縁結びをつかさどる仏として、信仰を集めている。
   愛染明王は、人間の愛欲などの煩悩を悟りへと昇華させる力を持つとされる密教の仏である。
 その信仰は平安時代後期に盛んとなり、鎌倉時代以降にも続いた。この仏を前にして密教的儀式である修法(すほう)には、人からの愛情や尊敬を獲得するための「敬愛法(きょうあいほう)」のほか、天災・人災から免れるための「息災法」や、外敵を降伏させるための「調伏法(ちょうぶく)」など、国家鎮護的な目的を持つものもあった。


不動明王(ふどうみょうおう)
 不動明王は梵名そのままに阿遮羅囊他(あしゃらなーた)と記す場合もある。
仏教ではこの尊に如来の使者としての性格を与え、真言行者を守護するものとなっている。
その姿は「不動、如来使者は慧刀・羂索を持ち頂髪が左肩に垂れ、一目にしてあきらかに見威怒身で猛炎あり、盤石上に安住している。額に水波の祖あり、充満した童子形である」と大日経で説いている。早期のものは両眼見開き二牙を上(或いは下)出するものが多いいが、後のものは片眼半開し二牙を上下交互に現わすものが多い。
不動明王の利剣は威力の象徴であるが、これに倶利伽羅(くりから)竜王の纒いついたものが作られる。これを倶利伽羅剣と呼び、不動明王の象徴として作られることがある。
猛炎は一切の煩悩を焼き尽くすことを表し、迦楼羅鳥(かるら)の口から吐き出す火焔とされる
迦楼羅鳥はインド神話にある想像の怪鳥でインド須弥山(しゅみせん)の北にある大鉄樹の梢を棲家として暮らしており、竜を捕らえて常食とし、頸に如意珠を巻き、口から絶えず大火焔を吐くという。
この怪鳥が仏教に取り入れられ、名を迦楼羅王と呼び観音二十八部衆の一つに加わっている。
 大磐石の上におられるのは何ごとも心を動かされないからで、不動の名はここから生まれた。右手に剣、左手にお縄を持つという恐ろしいすがたではありますが、非常に慈悲深く、蓮華を頭上にのせておられるのは、苦しみ悩んでいる人々を安楽の境地に運んでくださるため。 


降三世明王(こうざんぜ)
吽迦羅金剛(うんからこんごう)忿怒月厭尊(ふんぬがっえんそん)ともいう。
金剛界では金剛薩埵(こんごうさった)の忿怒形として配される。五大明王のうちでは不動についで最も重要視され、五大明王中の東方尊として作られることが多い。
三世の三毒である貧瞋癡(とんじんち)を降伏(ごうぶく)するものとして」信仰されるため降三世の名がつけられている。
像はいろいろあるが普通見られている像は、四面八臂で火焔髪は逆立たせ黒大忿怒の面相は物凄く、火焔裡中に立ちあがり、左足で大自在天を踏み右足で王の妃鳥魔(うま)を踏んでいる。踏んでいる姿が煩惱障と所知障を断滅する表徴をあらわしているものとされる。煩悩障は百二十八の煩悩があって涅槃の障礙(しょうげ)となり、所知障は一切の貪瞋癡のことで自在天を煩悩障になぞらえて強く踏み男性を譬えている。
四面八臂の像は右手に鈴箭や剣を持ち、左手は三叉戟・弓・羂索を持ち本手は左右に牙印という中指と無名指と大指とを念じて頭指と小指とを立ててこれを交叉し、その小指の鉤を引っかけている。
降三世の功徳は三界(欲界色界無色界)三世の貧・瞋・癡の三毒を降伏する明王として、この真言を誦すると無量無辺の魔界や色々の苦悩熱病も障礙(しょうげ)し難を防いでくれるとあって、悪人の降伏や戦勝祈祷にふさわしい明王として功徳があるとされている。


軍荼利明王(ぐんだらり)
軍荼利夜叉、大咲(だいしょう)、甘露軍荼利(かんろぐんだり)、吉利吉利明王(きりきりみょうおう)などの名でも呼ばれる。
五大明王の南方に配される。
軍荼利を訳して甘露甁(かんろびょう)という。甘露の供水を盛る宝甁の仏格化である。
この明王の姿で特徴とされるのは手足などに多数の蛇がまきついていることである。この蛇は我痴、我見、我慢、我愛をあらわすものといわれる。
種々の障碍-悪魔、蛇障、熱悩、不食(ふじき)などーを除去する明王として信仰される。
像は普通一面八臂であるが四面八臂もある。
身相青色を帯びて目は赤く頭髪逆立て、その色は赤と黒をおりまぜ上歯は残らず露出して下唇を咬み、二頭の赤蛇が頸に絡み、腕も足にもまきつく。
手には跋折羅(ばざら・金剛杵)金輪形戟杖(三叉戟)などを持ち左右第三手は両臂相交って胸上にある。


大威徳明王(だいいとく)
降閻魔尊(ごうえんまそん)ともいい、閻魔徳迦威怒王(えんまいとくかいぬおう)ともいわれる。また六足をもつため六足尊ともいう。
五大明王のうち西方に配され、無量寿仏忿怒とも称される。また文殊の化身とする説もある。
一切の悪毒竜を催伏する明王とされている。その徳は他王よりぬきんでて勝れ、その威は一切の竜王を怖れさすところから大威徳の名がある。
怨敵調伏に効果が著しいとされ、日本では藤原時代以後戦勝を祈るため造立された。
像は水牛に乗る六面六臂六足の姿が特徴で各面には三眼を備え前の両手は内に叉して中指を合堅(ごうじゅ)し、右の他の二手は棒剣を、左二手は三鈷戟輪をを持つ。


金剛夜叉明王(こんごうやしゃ)
五大明王のうち北方に配される明王で東密(東寺を本山とする真言密教)では北方不空成就仏の忿怒尊といわれているが台教(天台密教)では五大明王のうち金剛夜叉を省いて鳥枢渋摩明王(うすしま)を用いている。
一説では金剛夜叉と鳥枢渋摩明王とは異名同体であるいわれている。
この明王は金剛杵の威力が与えられた薬叉の意味をもつとして金剛界系統の仏教で創造されたとみられる。
金剛夜叉明王の功徳は息災調伏の明王であって一切の心の不淨を食い尽すという本誓から金剛噉食(かんじき)とも訳されて一切の悪有情等の物三世一切の悪穢(あくえ)、触染、欲心とを呑噉(どんかん)し速かに除尽してくれるという。
像は三面六臂でてには夫々弓箭剣輪印及び金剛薩埵の威儀(五鈷と金剛鈴)を持つ。五眼で忿怒の相をなし三首は馬王髻をなし珠宝で遍く飾る。


鳥枢渋摩明王(うすしま)
鳥枢沙摩(うすさま)とも記す。穢積(えしゃく)金剛、受触(じゅしょく)金剛、不浄潔金剛、不浄忿怒、不壊(ふえ)金剛、火頭金剛などとも訳している。
鳥枢渋摩信仰は民間信仰として不浄除(よけ)の神とされ、便所(厠)の守神として尊崇された。金剛夜叉が無形の不浄を噉食するのにたいして鳥枢渋摩明王は世の中のすべてのに接して一切のけがれや悪を焼尽する偉力を示すとされている。従って除病愛敬避難受福敵伏等の利益を得ることができるとされ、また死霊、生霊、悪鬼、蛇障の禍まで消滅させてくれる効験があるという。
形像は二臂、四臂、六臂、八臂と多種あるが普通は四臂像である。
目は赤色、遍身青黒色、頂背に火焔光起こり、四臂は右上に剣、下手に羂索、左上は打車棒をもち、下は三股叉をもつ。


孔雀明王(くじゃく)
梵名摩訶摩瑜利(まかまゆり)ともいう。蛇毒をはじめ一切の諸毒災悩を滅し安楽を得させるといっている。毒蛇を食う孔雀を神格化したものである。
日本でも奈良時代に既に知られており、役小角(役の行者)もこれを信仰していたといわれ、平安時代以後もかなり信仰され、絵画、彫刻が現存している。像は一頭四臂で、菩薩形で白い軽衣を着け、金色孔雀王にのり、白蓮華上に結跡趺坐する。右手は開いた蓮華を、二手は具縁果(ぐえんか柧に似た果物)を持つ。左一手は掌を胸辺にあげて吉祥果(石榴の実)を持ち二手は孔雀の尾(羽)を持つ。


太(大)元帥明王(だいげんすい・だいげん)
太元と省略して呼ぶ場合もある。梵名は阿吒縛迦(あたばか)阿吒薄拘(あたばく)とも書く。その訳は曠野鬼神(こうやきしん)の意で、仏教化したもののひとつで明王として発展した。
この明王を中心として経典ができ秘密の法として護国、外敵退散のため修せられた。
阿吒薄拘元帥大将上仏羅尼経の修行儀軌によれば像は、身は黒青色、身長八尺、四面。正面は仏面、左面は虎牙相交わり、三眼は血の如く赤い。右面は瞋れる神面を作り三眼とする。頭上一面は三眼の悪相をなす。
虎牙相で三眼は血の如く赤い。左右面の頭髪は牙髭髪で頂上面は赤龍纏髻であり、火焔がつらなって頂上にそびえている。身には蛇をかけ八臂である。左は上から輪・槊・合掌(右手と合わせて)、右は跋折羅・棒・合掌・刀をとっている。各臂には皆蛇をまとい、象頭皮を膝につけ足下に黒色極悪相の二薬叉をふむ。
  別尊大元帥明王御縁起(秋篠寺小誌・尊像略記)

 大元帥明王(た いげんみょうおう)とは詳には大聖無辺自在元帥明王と称し、仁明天皇承和六年十二月

常寧殿にて勅修以来、宮中に於てのみ修せられるべく御治定の鎮護国家の大法大元帥御修法(たいげん

のみしほ)の本尊として重んぜられ、何地に於ても勅許を得ざる修法は勿論、尊像の造顕奉置も禁ぜら

れ、その結果我国唯一の像として当寺に伝わるものであるが、その因縁には、かつて常暁律師当寺の閼

伽井に於て水底に落る自らの影を眺めるうち更にその背後に長大なる忿怒の形影の重なるを観、甚だ奇

特の思いを為してその形を図絵し此を身に帯び、後日渡海入唐の時、折あって此の尊法に遭うを得、先

ず本尊を拝するところ正しく本国秋篠寺に化現の像と同じく、これを以って奇しくも明王常暁律師の求

法に先立って当寺香水閣閥伽井に示現せられたると知るべきを示す伝説があり、更にその機縁の故に永

く禁裏御香水所として明治四年まで例年一月七日の御修法に際し献泉の儀を務めたる歴史を有つ。

なお、阿吁薄但元帥大将上仏陀羅尼経修行儀軌(唐善無畏訳)の本文を取抄すれば左の如くである。

 我信じ我礼し我帰し奉る元帥大明王、此れは此れ大毘廬遮那の化、釈迦と諸仏の変、如来の肝心衆生

 の父母にして不動愛染等の諸々の威徳身、観音無尽意虚空蔵等の諸々の菩薩身、聖天十二天等諸々の

 功徳心等一切を摂して衆徳荘厳せり。或は金剛忿怒の相を現じ、或は菩薩大慈悲相を現じて類に随っ

 て擁護したまう。今願力の故に以って大元帥明王となし、諸尊の中、最尊最上第一の威徳身を顕現す。

 若し一切世間有情の類、宝呪を持し宝号を称せんに、内外諸障を除きて、必ず世間出世間の願にこた

 えん。菩提心を成ぜんと願じ、乃至金剛心無畏心に住せん等の出世間の大願を発せんに正法護持の故

 に悉く願成就せん。又衆生あって、正因縁に住し、災を息めんものは即ち願成就し、栄福を求めんも

 のは即ち願成就し、勝利を為さんものは即ち願成就し、横病を離れんものは即ち願成就せん。明王の

 名を聞いて一度讃嘆せんものは、世間の宝果悉く円成す。かるが故に一切世間悉く当に大元帥に皈依

 すべし。



馬頭明王(ばとう)
 密教では無量寿仏の変化身とされ、馬頭明王とも呼ばれている。忿怒の形相の激しい表現で造られているので観音とするよりも、明王の性格が強い。大力持明王、馬頭金剛明王などともいわれている。
頭上に白馬頭を頂き畜生道の尊として信仰されている。
日本で多く見られる像は、三面六臂または三面八臂で、正面は狗牙をだした瞋面で、六臂と八臂には斧とか金剛杖、弓箭などの武器を持ち、二手は印契(合掌し、頭指を屈して甲を相合し、無名指を外に叉す)を結ぶ。
像はこの他三面二臂、三面四臂などがある。
































明王
五大明王
愛染明王
不動明王
降三世明王
軍荼利明王
大威徳明王
金剛夜叉明王
鳥枢渋摩明王
孔雀明王
太元帥明王
馬頭明王