佐太神社地図

御本殿三社(重文)
 山を背に、南殿、正殿、北殿の大社造本殿が15尺の間隔をおいて並立する。
中央の正殿は18尺四方、南殿と北殿は15尺四方で左右対称となっている。
 もともとは佐太大神だけを祭る神社であったが、時の経過とともに神社の所在地
も祭神も、すこしずつ変わっていった。
祭神 12柱が祭られている。○は主祭神
  正殿  ○佐太大神(猿田毘古大神)
         伊邪那岐命
         伊邪那美命
         事解男命
         速玉之男命
  北殿  ○天照大神
         瓊瓊杵尊
  南殿  ○素戔嗚尊
         秘説四座
  北殿・南殿末社 早人社
  母儀人基社   伊邪那美命
  田中社 東社 磐長姫命  西社 木花之佐久夜毘売命
  隋神社 南社 天忍日命  北社 大来目命
  北末社      山王社  大己貴命
             宇智社  天児屋根命
             玉御前社  玉屋命
             竹生島   竹生島神(稲倉魂命)
  南末社      戸立社   手刀雄命
             振鉾社   天鈿女命
             垂水社   岡象女命
             天神社   菅原道真
中世には伊邪那美命の陵墓である比婆山(ひばやま)の神陵を遷し祀った社と伝えられる。
 佐太神社は静かな山間にある。この地方は出雲でも最も早い時期から人が住み着いた
と考えられている。縄文前期の貝塚が出土している。
 
隋神像(吽形) 5月21日、拝殿下綱の外から参拝 随身像(阿形)
 主祭神である佐太大神の「さだ」とは伊予国の佐田岬、大隅半島の佐多岬等の地名みられる岬の意味で
島根半島一円の祖神であり、出雲国における尊い四大神の内の一柱である。
この大神の誕生は当社から10km離れた日本海に面する加賀の潜戸(くけど)(松江市島根町)と呼ばれる
神埼に(いわや)に金の弓矢を射ってお生まれになった。
 佐太大神は世に云う猿田毘古大神である。
 神名のサダの意味には狭田と岬のようないずれも狭い場所とい説がある。 
 5月20日から25日までは、
11月の神在祭(じんざいさい・かみありさい)の裏月祭にあたり、
神在裏月祭(じんざいうらずきさい)となっており、この間本殿前に
御幣を立てて神迎えの神事を行う。
 誰一人として(宮司も含め)拝殿まで立ち入ることができない。
 神在祭(11月20日から25日)について、
 旧暦10月を神無月(かみなづき)と呼ぶのは、
八百万の神々が出雲大社に集まり、
他の地域いなくなると信じられてきたからである。
 しかし、現地では日本中の神々が出雲に集まってくることから
神在月(かみありづき)と呼ばれ、佐太神社は出雲に集まる
神々の宿泊地と伝えられる。
 正中殿の祭神伊邪那美命が神去りました旧暦10月、
八百万の神々が母神を偲び当社に参集されると伝え、
祭りの期間中は幟も立てず、
神楽も上げぬ厳粛な禁忌の祭りであることから
「お忌祭(いみまつり)」ともいう。

 十月は日本中の神様が出雲に集まり話し合いをするので、

出雲以外の土地では神無月、出雲では逆に神在月
(かみありづき)と呼ぶという
伝承があります。
確かに出雲地
方では昔から八百萬の神様をお

招きする神在祭という祭事が行われています。
「神無月」の語源は、祭りが多い月で「神の月」が変化した、

新穀で酒を醸す「醸成月(かみなし)」が変化したなど
諸説があります。

 
 本殿は豪荘な大社造のお社が三殿並んでおり、主祭神の佐太大神はじめ12柱の
神々をお祀りしている。
 この大社造りの三殿並立の社殿は神社建築史上特筆すべきものとなっている。(重文)
特に南殿は通常の大社造りとはまったく逆の構造で他に類例をみない。
 現在の本殿は文化4年(1807)松江藩による造営でその建築様式は戦国期の
元亀年間にまで遡ると伝えられる。
 この三殿並立の形態は平安の末頃には成立したのではないかと考えられている。