桂川地図

 私どもは車を、堤防道路の左左に片寄せてまった。老松がある。
そのかげに建設省の表示板が立っている。
一級河川 桂川(大堰川)建設省とある。この表示のように、
一つの川が桂川ともよばれ、大堰(おおい)川ともよばれる。
あるいは保津川ともよばれる。
日本の河川の名のややこしさである。おなじ川ながら、
渓流を舟で奔りくだる遊びの場合は「保津川くだり」という。
「大堰川くだり」では、気分がでない。
 保津川くだりの舟は、丹波側の保津町の保津橋付近を出発点としている。
 丹波の保津町のひとびとは、古来、目の前の川を保津川とよんできた
(ちょっとややこしいが、保津町より上流は、同じ丹波でも大堰川とよぶ)。
舟で保津川を駆けくだって嵐山の渡月橋までくると、また大堰川となる。
京都側では、ほんのつかのまの大堰川である。
なぜかといえば、渡月橋からほんのわずか下流に桂の里があって、
桂離宮がある。桂のひとびとは古来、桂川とよんできた。
  
 街道をゆく (26)  司馬遼太郎  より
大堰川
 明石の君は大堰川のそばにある山荘に移り住んだ。
嵯峨野にばかり入り浸る光源氏に紫上は嫉妬を隠せないが、
光源氏から明石の君の娘を引き取って育ててもらえないかと請
われるのだった。
 娘を手放すことに苦悩する明石の君だが、母親の身分で子どもの
人生が決まると諭され、涙ながらに姫を預ける。
光源氏になだめられ迎えた夜明け、姫君は珍しい牛車に無邪気にはしゃぐ。
 子どもを失う辛さに激しく泣く明石の君を光源氏は慰めることしかできなかった。
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