蚕の社地図

拝殿 拝所
 大鳥居から参道を進んでゆくと、こんもりした森があり、この森を元糺の森といい、下賀茂神社の糺の森の前身で、
その中の元糺の池は誤りを直す行場であったといわれる。
 森の中に、一直線で拝殿、拝所、本殿が並んでいる。本殿の西側に元糺の池がある。
 この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)・
大国魂神(おおくにたま)・穂々出見命(ほほでみ)・鵜茅葺不合命(うがやふきあえず)を祀る。
三柱鳥居 木島神社は祈雨の神として信仰されてきた。
三方すべて正面の石鳥居。
 この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもつていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には機織りの祖神を、祀る蚕養神社(こかい・東本殿)があり「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
 創建は古く7世紀、太秦の地を本拠とした渡来系の秦氏が、養蚕と織物の神を祀ったことが起源とされる。
 本殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取り囲むように巨樹が繁茂している。
 例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏季土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
 
 正式には木島坐天照御魂神社(このしまにいますあまてるみたまのかみのやしろ)という名の神社で、朝鮮半島からの渡来人である秦氏が建立した。境内の摂社に養蚕神社があるので、この名前で親しまれているが、本殿の西側に不思議な空間がある。

 古来この社は雨乞いの神としての信頼があったともいわれる。また禊の行場でもあった。さらに夏の土用の丑の日、境内を流れる池の水に手足を浸すと諸病を免れるという神事も行われている。
 本殿の西側には四季湧水する「元糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
 鳥居を三つ組み合わせて作った三角形の中心に神座(かみくら)が置かれ、三方から拝めるようになっている。
 なぜ秦氏がこのような鳥居を作ったにかは謎の異界である。三角形の中心にある神座がいかにも超人的な霊力を封じ込めてあるような雰囲気を持つ。
元糺す池に建つ三柱鳥居