貴船神社地図

 京都の水源地にあり「水の神様」を祀る貴船神社。平安時代から雨乞いや雨止みの祈祷が行われてきたところで、鞍馬山で修行していた牛若丸が、平家討伐を祈願したと伝わっている。その昔、和泉式部も参詣し、夫の愛を取り戻したという「縁結びの神様」としても有名。本社にある「結び文」に願い事を書き、300m上流の本宮と奥宮の間にある結社(ゆいのうやしろ)に結んで祈願すると願い事がかなうといわれている。
 天武天皇6年(677)に社殿を建て替えた記録が残る。本宮の約500m上流にある奥宮が創建の地で、水害のため、天喜3年(1055)に現在地に本宮を移した。
 古くから本宮、奥宮、結社の順に参拝する「三社詣で」が盛んである。
 鴨川の水源地にあり、平安時代から治水や祈雨祈晴の神として信仰を集めた。勅使が祈雨には黒馬を、祈晴には白馬を献じたことが、後世に転じて絵馬になったという。
 神武天皇の母とされる 玉依姫(たまよりひめ)が黄船に乗って浪速より淀川に入り、加茂川からさらに貴船川をさかのぼり、ついに貴船に水の源を探しあて、そこに祠をまつったのが起こりという。貴船神社の旧社寺だった奥宮には、その玉依姫の黄船を石垣で囲ったと言う船形石が今も残る。
 水徳神高龗神(たかおかみ)を祀る旧官幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、明治4年以降貴船と改められた。平安時代延喜の制には、名神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いた時、国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。弘仁9年(818)以来の歴朝の奉幣、祈願では、もっぱら紀祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬または赤馬が献ぜられるのが例であった。
 平安時代末期には賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされたが、明治以後独立した。
 かって社殿は貴船川に沿ってあがった所にある現在の奥宮の地にあったが、天喜3年(1055)、現在地に移転された。
 本殿、拝殿、権殿等から成り、本殿は文久3年(1863)及び平成17年2005)に改修された。また、境内には祈雨の行事をおこなった雨乞の滝、奥宮本殿の西には舟形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。和泉式部がお詣りし、不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話はよくしられている。
   
   蛍岩(蛍の名所) 
 もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出ずる 魂かとぞ見る
貴船川 山もと影の夕ぐれに 玉散る波は 蛍なりけり 
 平安時代の女流歌人・和泉式部が貴船神社に参詣し、蛍の歌を詠んだ。それから千年後の現在も、6月中頃からこの付近一帯で蛍の乱舞が見られる。 
   夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は貴布祢詣でを思い立ちった。当時は奥宮が本社」で参拝者はこの谷で手を洗い口をすすぎ身を清めてから参拝した。
 この谷は禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川だった。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈った。
 契の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、何時の頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになった。