長命寺地図

琵琶湖を望む。
 
本堂(重文)  三仏堂
  聖徳太子が柳の霊木に千手、十一面、聖観世音三尊一躰の尊像を刻み長命寺
と名付けた。
 檜皮葺きの12間4面の本堂、三重塔は重文。
 不老長寿を願う参拝者で賑わう。
 三仏堂は元暦元年(1184)佐々木義秀の菩提を弔うため、
その子定綱が造立したと伝え釈迦・弥陀・薬師の三尊を祀る。
 この仏堂は永正13年(1516)の焼失後に再建されており、
渡廊下で結ばれた護法権現社拝殿と同時期の永禄頃の建立とみられる。
 桁行5間、梁間4間の入母屋造、檜皮葺で、側廻りは円柱に舟肘木をのせた
簡素な造であるが、内部は木鼻・実肘木を入れた三斗を組む。
軒は二軒疎垂木で、背面では一軒としている。
 内陣廻りは寛政5年(1793)に改造を受けているが、
その他には当初の部材が良く残りつている。 
鐘楼 三重塔(重文)
長命寺護法権現社拝殿及び渡廊下
 護法権現社は長命寺の護法神として開山武内宿祢(たけのうちすくね)を祀り、
本殿は江戸時代後期の再建とみられる。
 拝殿は小屋貫(こやぬき)に永禄8年(1565)の墨書銘があったといわれており、
形式技法からみてもそのころの建立と考えられる
桁行3間、梁間(かりま)2間の入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)で、
切目縁(きりめえん)を四周に巡らし、角柱に舟肘木(ふなひじき)をのせ、
二軒の疎垂木(まばらたるき)とした簡素な造りである。
 三仏堂へ続く渡廊下は、拝殿と同時期の建築とみられ、造りも同様に簡素である。
三仏堂側につけられた唐破風及び蟇股(かえるまた)兎毛通(うのけとおし)の意匠が優れ、
時代の特徴をよく示している。
西国三十三ヵ所第三十一番札所。
拕柷尼天尊(だきにてんそん)(稲荷大明神)
石段また石段の参道

 琵琶湖岸にほど近い山すそから、緑の中を延々と続くかに見える石段。その数は808もあ

るという。長命寺は、その上から静かに湖を望んでいる。

 619年、聖徳太子の開基とされる。縁起によると、今から1900年以上昔の景行天皇20年に、
武内宿禰がこの地の柳の
巨木に「寿命長遠諸願成就」と刻んだところ、宿禰は300歳以上生
き、代々の天皇に仕え
た。後に当地を訪れた太子が、巌の陰から現れた白髪の老翁のお告
げに従い、くだんの柳で
十一面聖観音の三尊一体の像を刻んで伽藍を建立。宿禰

の長寿霊験にちなんで長命寺と名付けたという。

 現在、本堂の厨子に納められた, 10 ~11世紀作とされる十一面(身丈約54 cm) , 12世紀
作の
千手(同約92cm ) 、13世紀作の聖観音(同約67cm)の木造3観音立像が一体で本尊。
いずれ
も国指定重要文化財で秘仏。

特別に厨子のそばまで入れてもらうと、厨子の両脇にあるのぞき穴から、わずかにお姿が見
えた。

 御前立は1731年、境の仏師が作ったという身丈約100cmちの木造千手観音立像。

本尊の千手観音とは少し形が違う。99年の修理の際、胎内から、寄進者らが先祖の冥福
など
を祈って寄せたと見られる文書類が約30点出てきたそうだ。

 「長命寺の観音さまの御利益は健康と長寿。両方を手にすることは人生最大の願い」と
武内
隆韶住職は語る。実は、山門まで残り約百段という場所まで車で行ける道があるが、
参拝者の
2~3割が全段上るそうだ。
  2008-11-7  朝日新聞
 (高橋真紀子)