風猛山 粉河寺地図

     
   大門(重文)
三間楼門。 宝永4年(1706)の建立。総欅造り。
 金剛力士は仏師春日の作と云われ、像の用材は桂。
 

 
  

中門(重文) 
三間一戸の楼門、軒まわりまで良質の欅材、
 天保3年(1832)の建立で四天王を祀る。
「風猛山(ふうもうざん)」の扁額は、紀州徳川
第十代藩主、治宝(はるとみ)侯の直筆。
 
   
 
本堂(重文) 
 本尊  千手千眼観世音菩薩
 両側に侍者 28部衆、内陣の背面には裏観音
 東 鬼子母神
 西 不動明王大日如来閻魔大王
  宝亀元年(770)創建以来、数度の造営と改造を繰り返し、現存の本堂は享年5年(1720)に再建された。
西国三十三所の中で最大といわれている本堂、その内陣の厨子の内深くに秘仏の本尊千手千眼観世音菩薩が祀られている。
一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが結合した構成をもつ複合仏堂の形式である。
 本堂の規模は外陣及び中陣は間口(33.03m)奥行(12.12m)内陣脇陣、後陣は間口(23.93m)奥行(13.03m)
向拝は間口(11.8m)奥行(4.15m)
概要と特徴
 江戸時代建立の本堂は壮大で西国で一、二の大きさ。国宝粉河縁起、
室町時代の枯山水の庭園は国の名勝。

 
粉河寺庭園 千手堂(重文) 
粉河寺庭園
 本堂の前庭とその下の広場との高低差を処理する 土留めとして、また、
広場から本堂を仰ぎ見る前景 として築かれた石組で、先例のない様式。 
千手堂(重文) 
 宝形造りの三間堂。江戸時代 宝暦10年(1760)の建立。
正面に千手観世音菩薩、両側の祭壇には紀州歴代藩主とそのゆかりある人々の
位牌を安置。
   
 丈六堂 文化3年(1806)の再建
 丈六(1丈6尺の略)阿弥陀如来を安置 
     
出現池   童男堂
 童男堂
 本尊は、千手千眼観世音が姿をかえられたといわれる童男大士を祀る。
12月18日は「終り観音」の童男会がいとなまれる。棟札によって延宝7年(1679)の建立と考えられる。
童男堂は正堂と礼堂とで構成されており、桁行3間、梁間3間の正方形の建物の正面に桁行5間、梁間3間の礼堂を幅1間の
合の間を挟んで建てられている。
出現池
 本尊千手千眼観音の化身、童男大士(童男行者ともいう)が柳の枝を手に白馬に乗ってこの池より出現したと伝えられる。 
   
太子堂   念仏堂
 清少納言、枕草子で奈良を語る     

 
       

西国三十三所霊場 第3番札所