紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺)地図

楼門(重文)をくぐり231段の「結縁坂」を上がると、和歌浦の眺めが一望できる。
     
  楼門(重文) 
  室町時代 永正6年(1509)建立、三間一戸・入母屋造り・本瓦葺き、建立以来たびたびの修理を受け、桃山時代の様式を残す。

(高欄付きの縁をめぐらせた通路や和様三手先腰組)欄間には、牡丹と蓮の彫刻があざやか。金剛力士像を安置。

 正式な寺名は紀三井山金剛宝寺護国院ですが、山内から湧き出す三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)から紀三井寺という名で呼ばれて
いる。 西国33ヵ所観音霊場2番札所。
 
 
     
  本堂 
江戸時代 宝暦9年(1759)建立、母屋造・正面唐破風と千鳥破風、本瓦葺き・九間四面・総欅造り 
光仁天皇の時代、唐の僧・為光上人によって開基。名草山の中腹に霊光を感じた上人が山中を探したところ、
千手観音像を感得。それを秘仏として、また自ら刻んだ十一面観音像を安置したのが寺の起こりとされている。 
概要と特徴
 名草山の中腹にあり為光上人自刻の十一面観音像奉安。
清浄・楊柳・吉祥水の三つの井戸がある。芭蕉の句碑もある。
ふるさと を はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん

 紀三井寺は、今から千二百四十年近く昔(宝亀七七○年)、唐僧為光上人によって開基されました。

為光上人は、仏教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って唐(今の中国)より到来さ

れました。そして諸国を巡り、上人がたまたまこの名草山の麓に宿した折、山の頂上付近が白く光

っているのを不思議に思って上がって来られると、金色に輝く千手観音様と出会われました。

この地が、ご仏縁深き霊場と悟られた上人は、自ら一刀三礼のもとに十一面観音様の尊像を彫られて、

これを草庵に安置し、この紀三井寺を開創されました。
正式な寺名は「紀三井山金剛宝寺護国院」ですが、山内から湧き出す三つ霊泉(清浄水・楊柳水・

吉祥水)から「紀三井寺」という名前で親しまれてきました

ご本尊の十一面観音様は、厄除・開運・良縁成就・子授け商売繁盛など諸々の心願を叶えて下さる霊験

あらたかな観音様として、また西国三十三所観音巡礼第二番の札所として、参詣者の香煙絶えません。


     
多宝塔(重文) 
 室町時代・文安6年(1449)建立。嘉吉元年(1441)倒壊した塔に替って再建された。 本瓦葺三間多宝塔。
 下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形。 室町時代中期様式・五智如来をまつる。

     
 鐘楼(重文)  大師堂  開山堂
鐘楼 
 安土桃山時代・天正16年(1588)建立。入母屋造・本瓦葺き・袴腰(腰板張りの下層)全体に軽快な感じで、鐘楼建造物中の白眉とされてい

る建物である。

     
 新仏殿  大千手十一面観音菩薩 

新仏殿と大千手十一面観世音菩薩

 紀三井寺では新仏殿のご本尊として木造の立像仏としては日本最大となる総漆金箔張大千手十一面観音菩薩が入佛されました。

京都西山に工房を構える現代わが国随一の大仏師・松本明慶師の作となるこの大きな観音様は、平成二十年五月落慶法要が営まれました。  

 
春の桜は関西一の早咲きといわれ、境内には気象台の標本木があり、開花宣言の目安とされている。
紀三井寺の三井水。

西国三十三所霊場