竹之内環濠集落地図
環濠集落は一般的には南北時代から筒井順慶による統一まで、 大和の戦国乱世が生んだ自衛の集落で、周囲に堀を穿って 成立したと考えられている。溝の内外を土塁により盛り上げ、 さらに外側には竹を植えることにより防衛性を高めたのである。 竹之内環濠の堀は西側にかろうじて池として残り、 北側のラインには竹やぶが現存している。 |
奈良盆地には環濠集落が多いが、 竹之内は標高100mで、県内で最も高地にあるとされ ている。 |
竹之内の集落 は、竹之内峠西方扇状地に立地する大和最高高度の環藻村落である。 この竹之内集落東方の山麓に鎮座する 十二神社 から東に約200メートル登った尾 根の斜面から、昭和14年開墾中に 銅鐸 1個が出土した。総高41.8センチで鐸身 の文様は袈装襷文(けさだすき)で、鰭部(ひれ)は内行鋸歯文帯を用い、左右に |