城南宮地図

 平安遷都と同時に都の南の守護神として創建され、「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれる。
 平安時代後期、この地に築かれた鳥羽離宮は方違(かたたがえ)の宿舎や熊野詣出立の地に選ばれ、方除の信仰が高まった。
 歌会や舞楽、舟遊びや流鏑馬が行われ、王朝文化が花開いた。 
 城南宮周辺は平安時代末期、白河上皇が院政を行ったことで政治や文化の中心としてにぎわったといわれる。
 源氏物語 花の庭には「源氏物語」ゆかりの約100種類の草木が植えられ、季節ごとの花が楽しまれる。
 今からおよそ900年の昔、白河上皇の手で離宮が築かれ院政の拠点となっていた。
上皇の御殿や貴族の宿所、そして御倉や仏所・修理所など様々な施設が整備された。
貴族や武士が集い世の中を動かし、和歌の会や舟遊びが繰り広げられ、
城南宮の祭礼の時など競馬(くらべうま)や流鏑馬(やぶさめ)が行われて弓馬の技が競われた。
また、離宮内に創建された御堂で盛大な法要が営まれ、この地は、副都心のように賑わっていた。
 白河上皇の孫にあたる宗仁親王(むねひと)は、嘉承2年(1107)にわずか5歳で即位された。
すなわち鳥羽天皇である。天皇は、天仁2年(1109)4月、7歳の時を最初に天皇在任中からこの地を度々訪れられた。

 保安4年(1123)、21歳の時に崇徳天皇にご譲位になり、大治4年(1129)に白河法皇が崩御されるとようやく実権を握り院政を行われた。
鳥羽上皇はこの地をこよなく愛され、次々と御殿や御堂を築かれた。
例えば、城南宮の北西に位置した勝光明院は、宇治の平等院の鳳凰堂をしのぐ壮麗な建物であり、東の安楽寿院には、
阿弥陀仏が九体並んで坐します御堂が供養され、極楽浄土がこの世に現れたかのようであった。
いわば国立博物館のような文化施設もあったのである。

 茅の輪くぐりの期間中、神苑内のみそぎの小川に穢れを託した人形を流すこともできる。
また7/1 〜7は車用の茅の輪も
登場。