<大雲寺> 今から千余年前、平安朝の頃円融天皇比叡山行幸の砌、当山の頂上に紫雲たなびくのを眺めて 霊地なることを知られ勅願により創建された大雲寺は、行基菩薩作「十一面観音」を本尊とす る観音院を始め四十九の堂塔と千人に及ぶ僧を擁し、洛北屈指の名刹と称された。観音の霊験 は広く朝野の尊信を集め、今日も脳病平癒の御利益を求める全国の善男善女による信仰は変わ ることがない。 紫式部の『源氏物語』や『太平記』・井原西鶴の『好色一代女』等、文学作品の舞台としても、 大雲寺は多く登場する。また、宋に渡った当寺の成尋阿塑の紀行文、ならびに、その母の句 集は日中文化史上不朽の名を留めている。『源氏物語』のなにがしの寺で光源氏が紫の上(将 来の伴侶)を見初めたとされる寺である。恋慕う藤壺に生き写しの少女を垣間見る。のち光源 氏の終生の伴侶となる紫の上を見初める場面だ。 『源氏物語』<若紫>巻で、源氏の君は瘧 病を患い「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。」と聞き、北山のな にがし寺に行きます。そして源氏は運命の恋人・紫の君(のちの紫の上)と出会うのでした。 |
北山の寺は鞍馬寺でなく、大雲寺だという説もある。この寺が紫式部の曽祖父によって建て られたことからの説とされる。光源氏は、北山で見つけた美少女が、恋慕する藤壺女御の 血縁であることを知る。 |
<石座(いわくら)神社> 天禄2年、円融帝により大雲寺が建立され、その鎮守として、岩倉の産土神である。その後、神 をまつる八所明神と十二所明神も、石座神社にまつられました。大雲寺が創建される前にあっ た石座神社は、名前が変わり御旅所がある山住神社になりました。石座神社の例大祭は、朝の 神事として松明行列が御旅所まで行き、昼の神事として剣鉾や神輿行列が石座神社まで戻りま す。 『山城名跡巡行誌』に「八所明神の社、堂の東に在り。長徳3年4月18日石座の神託に依り、 勧請と為す。十二所明神の社は八所の西に在り」とあり。 |