寺田屋地図

 坂本龍馬(1835〜67)が定宿にしていた。
 幕史に襲われ危うくなんを逃れた事件(慶応2年・1866)の舞台になった。
 この建物は、鳥羽伏見の戦い(慶応4年・1868)で焼失たため、現在の建物は再建されたもの。
ただ、龍馬が襲われた時の「弾痕」や「刀痕」がある。
 幕末の動乱の渦中、龍馬は幕史に襲われて寺田屋で傷を負う。
龍馬は傷を癒すためにお龍と霧島へ新婚旅行に出かける。

 寺田屋近くで十石舟にのることができる。通行する川は、宇治川派流であるが、元は、豊臣秀吉の伏見城築城の際、建築資材を運ぶために開削された。
川は更に、伏見城の外堀だった濠川(ごう)と旧高瀬川が合流する。江戸時代の交通の要衝、伏見港に通じる。舟の折り返し地点となっている三栖閘門(こうもん)は、川床が高い宇治川との段差2つを水門によって解消し通行を可能にしている。