磐余池推定地(池之内説)地図
東池尻・池之内遺跡

 
 古代に築かれた巨大な人工の池の跡です。戒外川の東岸から西方

御厨子神社が位置する丘陵にかけて、長さ約300m、幅約20~ 55m

高さ約2 ~ 3mの土手状の「高まり」が存在しています。南に広がる

谷を塞ぐ位置にある、この「高まり」が池の堤の跡です。古代には堤

の南側に巨大な池が広がっていました。堤は丘陵の延長部分に盛土を

施して築かれています。現在、堤の上は畑や宅地に、池の部分は水田

となっています。

 堤は6世紀後半には存在しており、堤の上では6世紀後半~ 7世世紀
前半の建物や塀が多数発見されています。
藤原京の時代(7世紀末~

~ 8世紀初頭)には、堤の一角に水量調整用と考えられる深さ4m以

上の大溝が掘られています。堤の外(北)側の裾付近には石敷が施さ

れている地点もあります。池は12~ 13世紀頃には埋没して耕作地

になったようです。

 この池は『日本書紀』や『万葉集』にたびたび登場する「磐余池」

にあたるのではないかと考えられています。
 平成27年3月 橿原市教育委員会

   

 土手状の「高まり」が、東西の丘陵をつなぐ形で帯状に延びています。 この高まりは、南方から

延びる数条の谷と川をダムのように塞ぐ形状である事からダム式ため池の堤ではないかと言わ
れてきました。その池は、「磐余池」ではないかと推定されています。