大溝の水辺景観地図
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木津の港跡地図
木津浜地図
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二つ石地図
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大溝の水辺景観
針江
霜降
海津
西浜
知内
■大溝の水辺景観
古来、若狭と畿内の結節点として栄えた港 「勝野津」 を中心に栄えた地が「大溝」 です。 周辺の地名が万葉集などの文学作品に登場するほか、 琵琶湖の内湖である乙女ヶ池は、 奈良時代最大の乱であ る「藤原仲麻呂の乱」 の最終決戦の地としても有名です。 また、戦国時代末期には、 織田信長が大溝城を築かせ、 琵琶湖掌握戦略の拠点として支配しました。 一方、 大溝 では山からの湧水や井戸水を巧みに利用する生活形態が 今も伝えられています。 平成27年に国の重要文化的景観に選定されています。 ■針江·霜降の水辺景観 針江·霜降地区は、豊富な湧水を利用する 「カバタ文 化」で知られています。 この湧水を「生まれる水」 と書 いて「生水(しょうず)」と呼び、今も日々の生活の中 で大切に使われています。 家々の「カバタ」で湧き出た 「生水」は、針江大川や小池川から内湖を通じて琵琶湖 へと注がれます。湖岸にはヨシ原が広がり、琵琶湖に棲 む多様な魚類の産卵場所ともなっています。 日本の原風景ともいうべきこの景観は、平成22年に国 の重要文化的景観に選定されました。 ■海津·西浜 知内の水辺景観. 海津·西浜·知内地区は琵琶湖北部の主要な港町· 宿 場町そして漁村として栄えた場所で、湖岸に築かれた防 波石積みが特徴となっています。 この地区の水辺景観は、 平成20年に国の重要文化的景観に選定されました。 その景観を構成する重要な要素として、 海津 西浜の 石積みのほか、漁業組合の旧倉庫、町家などを定めてい ます。町家は、いずれも江戸時代末期の建物で、 街道沿 いの宿屋·商店として建てられた木造の建築です。 |
水鳥観察センター
木津の港跡・木津浜
木津の港跡 木津は奈良時代の郷名として、既に『倭名類緊抄(わみょうるいじゅしょう)』 に出ており、天正二年(一五七四)六月の「饗庭定林坊自分並家中田畠帳」にはコツとあります。 また「古津」とも書かれ、江戸時代の寛水年間には、当時の若狭からの蔵米、貨客(旅人・巡札) 船宿は百軒を超えたと伝えられています.物資はいずれも湖上をまっすぐ大津港へ向かい、 高島市教育委員会 |
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木津浜(こうつはま) この湖辺に二つ石といって大きな石が二つあり、沖合百メートルのところにも同じくら ルのところにも同じくらいの岩が二つあった。 人々の中にはここから賽銭を投げて遥拝した人もあり、今でも浜に古銭が打ち上げられる。 |
御葳屋敷跡 この地は、江户時代に若狭小浜藩の蔵米屋敷があった ところです。大蔵屋敷または御蔵とも 呼ばれています。 かっては、一五七間の石垣がありました。 「天保三年(1832)木津村絵図」には、五棟の建物群と石垣が描かれています。また、明治二年(1869) 五棟の建物の大きささは、 一 北蔵三間 X 一三間 一 南藏三間X一二間 二尺地上げ 一七間 X 三間の蔵に立替、 南に一間半の番屋付 一 蔵番屋九尺四方 一 蔵奉行長屋三間 X 七間 一 足軽衆長屋南北三間 X 東西十間 これらは、明治二年五月に取り払われました。この地は、往時の木津港をしのぶ上で貴重な存在です。 |
二つ石
「ニッ石」 . 沖合百メートルの湖中に、同じくらいの岩が二つある。これが「ニツ石」とわれるもので、渇水 このことから、沖の「ニツ石」にかわって浜辺に岩が置かれ、二ツ石大明神として祀られたの また「ニツ石」は、七・八世紀頃に施行された耕地区画、条里制の十八条三里の基点となる重 |
妙正寺
大水別神社
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