須我神社地図

祭神
 建速須佐之男神(命
 櫛名田比売命
 八島士奴美神
合殿
 建御名方神
 八岐大蛇を退治した須佐之男命は、宮を造るところを求めて、出雲国須賀のちにおいでになり、「吾此地に来まして、我が心須賀須賀し」と仰せになって、此地に宮殿を御作りになりましたが、其地(そこ)より
美しい雲が立ち(のぼ)るのを御覧になり、
 スサノオがヒーローに⇒⇒⇒
夜久毛多都(やくもたつ) 伊豆毛(いづも) 夜幣賀伎(やえがき) 都麻碁微爾(つまごみに) 夜幣賀伎都久流(やえがきつくる) 、曽能夜幣賀伎袁(そのやえがきを) 八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 
八重垣つくる 
其の八重垣を
雲が立ち昇り、湧き(いず)る雲が妻を籠もらせるために
幾重もの垣根をなしている。
幾重もの垣根を。
 八重に立ちのぼる美しい雲、その雲が八重の垣根となって宮殿を取り囲んでくれる。私は妻を得てこの宮殿を建てるのだが、そこに私と妻を閉じ込めるかのように雲が立って、八重の垣根ををつくる。ああ、すばらしい八重垣であることよ。
 即ちこの宮が古事記・日本書紀に顕れる日本初之宮である。そして、ここが31文字和歌発祥の地であり、この御歌の出雲が出雲の国名の起元でもある。また、須佐之男命と櫛名田比売命の間の御子神が八島士奴美神で、この三神が当社の主祭神である。
 合殿の建御名方神は天文年中(室町時代後期)、当地(淀之荘)地頭職として(みわ)中沢豊前守が信州諏訪より来任されたとき、その氏神建御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し、諏訪大明神として祟敬された。以来村名も諏訪村と改められていたが、明治22年元の地名の須賀に復した。
古事記・日本書紀に顕れる日本初之宮である 和歌を刻んだ石碑 夫婦岩 須我神社奥宮にある休息所
 八岐大蛇を退治した須佐之男命が稲田姫と共に訪れ「我が心すがすがし」と日本で初めての宮殿を造ったと伝わる。
 建速須佐之男神命と櫛名田比売命とが結ばれた祝婚の歌で、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる 其の八重垣を」最古といわれる和歌。
愛と出雲をうたいあげている。
 須我神社奥宮として三神(建速須佐之男神命・櫛名田比売命・お子神)を祀る岩座(いわくら・通称夫婦岩)、大きな岩が2つ寄り添い、傍らに小さな岩がある。
 その後建速須佐之男神(命)は一人の御子八島士奴美神をもうける。また別の娘とのあいだにも二人の御子をもうける。そしてかねての望み通り、亡き母・伊邪那美神がいる根の堅州国(ねのかたすくに)に赴いてしまう。(根の堅州国に行く経緯⇒
 その後、大穴牟遅神の物語となる。(古事記)
 大穴牟遅神は建速須佐之男神がいる根の堅州国に逃亡し、そこで建速須佐之男神の娘である須勢比売命と恋に落ちる。