八重垣神社地図

 素戔嗚尊
櫛名田比売命
 収蔵庫に保存されている社殿の3面の壁画、
板絵著色神像(重文)は神社の障壁画として日本最古の物とされる。
中でも櫛名田比売命をを描いたとされる壁画は保存がよく、
鮮やかな紅の唇は数百年を経たと思えないほどである。
拝殿
祭神
 素戔嗚尊
 櫛名田比売命
 素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのオロチ)を退治後に
櫛名田比売命との新婚生活を送るため構えた宮といわれる。
八重垣神社には、祭神の一柱櫛名田比売命を5月に奥の院
に移し、12月に再び本社に迎える「身隠し神事」がある。
鏡池で、占い用紙に100円または10円を乗せて浮かべお祈りする。
鏡の池(縁結び占いの池)
 この池は櫛名田比売命が八岐大蛇の難を避けるため、森の大杉を中心に八重垣を造って避難中、日々の飲料水とし、
また姿を写された池である。
 
 湧き出る清水は昔ながらの面影をしのばせ、櫛名田比売命の霊魂が底深く浸透しているところから、
縁結び占いの池として信仰されている。
山神神社 夫婦椿(連理の椿) 天鏡神社 佐草宮司宅
 連理の椿の「連理」とは、
一本の木の枝が他の木の枝につき、一本の木のように肌理(きめ・木材の持つ質感)が同じになること。また、男女の仲がきわめて親密
なことのたとえに使われる。 
 
 社殿の奥の森の中には、櫛名田比売命が鏡として使ったといわれる鏡の池があり、縁結びの神社としても知られている。
 素戔嗚尊が出雲の斐の川上に、来られた時、櫛名田比売命を中心に老夫婦が泣いておられる様を御覧になって、その理由をお聞きになり、悪者八岐大蛇を退治して櫛名田比売命を救われた。この時素戔嗚尊は、櫛名田比売命を斐の川上から七里を去った佐草の郷、佐久佐女(さくさめ)の森(現境内、奥の院、鏡の池のある森、小泉八雲は神秘の森と称す)の大杉を中心に八重垣を造って櫛名田比売命を御隠しになり、八岐大蛇を退治してから、両親の許しを得て、「いざさらば いざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」という出雲神楽歌にもある通り佐草の地に宮造りされて「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」という妻をめとった喜びの歌をうたわれて御夫婦の宮居とされた。
 八重垣とは、大垣、中垣、万垣、西垣、万定垣、北垣、袖垣、秘弥垣という八つの垣で今もその垣の名が山の上や中腹、田の中等に地名が残っている。
 出雲の古い民謡の一節に、「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」とある。
 当社は二人の言い伝えから出雲の縁結びの神社として知られ、信仰を集めている。
 旧称を佐久佐神社という。素戔嗚尊が櫛名田比売命との住居を構えたという須賀の地須我神社に創建されたが、のちに佐久佐神社の
境内に遷座した。佐久佐神社は明治5年(1872)に八重垣神社を合祀し、明治11年に八重垣神社に改称した。
 神社の裏手に森があり、鏡の池と呼ばれる小さな池がある。櫛名田比売命が化粧のときに鏡として使った。この池では、硬貨を紙片に浮かべ、その沈み具合で良縁を占う。早く沈むほど縁が近いといわれている。
 大蛇退治の時、櫛名田比売命が森に身を隠したという故事に由来して、5月3日身隠神事が行われる。
 狛犬は制作年代が明らかではないが、日本内地にこの種2個現存しているその内の1個といわれている。