大神神社(おおみわ・三輪明神)地図

拝殿(重文)
祭神 奥津磐座(おきついわくら)大物主神 
    中津磐座大己貴神 
    辺津磐座(へついわくら)小彦名神
御神体 三輪山
摂社
末社
周辺 :夫婦岩衣掛杉歌碑1歌碑2大美の杜くすり道恵比須神社琴比羅神社
リンク
一の宮
延喜式神名帳 名神大社 月次祭 相嘗祭 新嘗祭
 日本最古の神社といわれ、本殿を持たず拝殿、大鳥居の左右に小鳥居をつけた
三つ鳥居を通して三輪山を拝む原始信仰の形を保つ。
三つ鳥居より後ろを中心に尾根づたいに上へ上がるところが
禁足地になっている。
 大三輪の神は国造りの神様、また医療・酒造り・方除等人間生活全般の守護神とされ、
延喜式名神大社であり、大和の国一の宮としてあがめられている。
また、俗に三輪明神として親しまれている。
大国主命⇒⇒⇒
大とんど(1月15日)
鎮花祭(4月18日)⇒⇒⇒ 
   狭井神社⇒ 率川神社⇒ 葦原の⇒
三枝祭(6月17日)
拝殿前の勧請縄(鳥居) 拝殿(重文) 祈祷殿 祈祷殿
 神体三輪山を背にして建つ。
 寛文4年(1664)に第4代将軍徳川家綱の命により、大和国高取藩主植村家貞が造営奉行となって再建された。
 主棟は桁行九間、梁間四間の一重檜皮葺の切妻造で、正面中央は、千鳥破風で妻正面の入母屋造に、
三間一面の唐風造の大向拝がついている。
 三輪明神もしくは三輪神社と言われながら、大神神社と書いてオオミワジンジャと訓(よ)ませる。明治初年に神仏分離がおこなわれたことが、事情の一つである。
それより以前、平安時代に神仏混淆(こんこう)思想が完成され、日本の神に仏教的な名称をつけた。明神というのは諸説はあるが、仏教語である。
明治は日本固有の神から仏教臭を消してしまう大運動であった。そのため権現や明神の呼称は廃され、あらためて日本らしい神名もしくは神社名をつけねばならなかった。
明治初期、社名を政府にとどけ出るにあたって、大神神社と書き、オオミワと読ませることをやってしまったに相違ない。
  司馬遼太郎 街道をゆく(1) より
 日本書紀によれば(古事記は崇神天皇美和大物主)、崇神天皇5年に「国内疫病も多く、民死亡するものありて、半ばにすぎなんとす」とあり、崇神天皇7年、天皇は為すすべもなく、
斎戒沐浴して、夢で神に教えをこうのである。この時、三輪山の主宰神大物主が現れ、「天皇、復(また)な愁(うれ)へましそ。
国の治まらざるは、是吾が意ぞ」と述べた。そして大物主を祀り、疫病は治るのであるが、これが鎮花祭(はなしずめのまつり)の起源となる。
大国御魂神⇒ 
天照大神⇒
檜原神社⇒ 
穴師坐兵主神社⇒
大神神社⇒ 
豊鍬入姫宮⇒
崇神天皇⇒ 
垂仁天皇⇒
大和神社⇒
箸墓古墳⇒
大直禰子神社⇒ 
現在の鳥居になるまで、
 勧請縄(かんじょう)→脇勧請→鳥居(神明鳥居、明神鳥居)
勧請縄→大神神社 本山寺
脇勧請→松尾大社
巳の神杉(みのかみすぎ) 巳の神杉
 樹齢350年、境内では一番太い杉。根元の洞には白蛇が棲み願い事を聞き入れてくれる。
巳の大好物である卵と御神酒が供えられている。                   
 三輪山の霊威である大物主大神は、また、蛇の形で信仰される神でもある。
もともとこの付近に栄えていた出雲系の部族が、この山に棲む蛇神を祀った信仰に
基づくという。
 蛇神は水神・雷神の霊能を持ち、後には酒造の神・薬の神としても崇められるように
なった。
 大神神社では蛇のことを巳(みー)さんと愛称し、境内には実際に白い蛇が棲むという
「巳の神杉(みのかんすぎ)」と呼ばれる大木の古杉が聳える。
蛇の好物の卵や酒を供え、手を合わせる人の姿が絶えない。
 この三輪山の蛇にまつわる話で有名なのが日本書紀に書かれる箸墓伝説だ。
大物主の神の御子⇒⇒⇒
   
夏越の大祓(なごしのおおはらえ)
 日々の生活の中で、しらず知らずのうちに心身についた半年の罪けがれを人形に託し、残り半年間の無病息災を祈る。
 神職らが人形に息を3度吹きかけたり、麻布を破ったりして、けがれや罪をはらう儀式があり、その後、直径
3mの茅(ち)の輪を「8」の字にくぐりることによって身を祓い清める。
 拝殿前には、神霊が宿る三木とされる杉、松、榊を輪の上に掲げた「三輪の茅の輪」が設けられ、多くの参拝者もくぐり祈念する。
夏越祭期間 6月21日〜7月7日まで。
宝物収蔵庫
 古来より、お米が「お酒」に大豆が「醤油」「味噌」へと発酵熟成する現象を神様の働きによるものと信じてきた。
 大和国の黎明期、三輪山に沢山の人々が集まり、建国に励んでいた処、人々の心が散り散りになり、国家崩壊の危機に陥った。
 そこで崇神天皇は高橋活日命に酒造りを命じ、三輪山に鎮まる神々にお酒を献じ、初めて国家安泰の祭祀を行った。
 その時お供えしたお酒が、あまりにも見事な素晴らしいできばえであったことから、皆「神人和楽」の境地に至り、
心を一つに力を合わせて国家再建の目的を成し遂げられた。
 この時、掌酒活日命は、
  この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒 幾人 幾人
 と詠み、このおいしいお酒は三輪の神様がお造りになられたと誉め讃えられた。
これより三輪の神様は「お酒の神・醸造の神」として篤い信仰を受けるようになり、併せて「味酒(うまさけ)」は三輪の枕詞になった。

  「味酒」は三輪、三室
  「味酒の」は三室
  「味酒を」は三輪、神奈備山
 にかかる。
しるしの杉玉 
 酒の神としても信仰が厚く、よく酒屋の軒先に吊るされている杉玉はここで作られる。
 三輪山の杉は神の憑(よ)りつく神木として、三輪の神杉と称され、この杉の葉を球状に束ねたものが「しるしの杉玉」、一名「酒ばやし」と呼ばれる。
酒の神と仰ぐ大神神社より全国にひろく授けられ、酒蔵の軒下につり下げられる。
 拝殿の大杉玉(直径1.8m、重さ150k)は前日に杉の香も芳しい新しいものと取り替えられる。

 この兎像は江戸時代の中期から大神神社に伝わり、からだを撫でてご神助を

祈願することから、いつの頃からか「なでうさぎ」の名で親しまれています。

「卯」=兎は、方位としては東、時刻では午前六時、季節では春にあたり、「日の出」、

「出発」など物事の始まりを表します。大神神社では、第十代崇神天皇の御代以来,

重要なお祭りを「卯の日」に奉仕する定めが二千年もの間受け継がれ、現在も月毎に

「卯の日祭」を奉仕し、国家の安泰と国民の平安を祈願しています。また、古くから

輪の大物主大神様は出雲の大国主大神様とご一体であると信仰されていますが

大国様といえば、「因幡の素兎」を思いおこす方も多いはずです。

大神神社と兎とは、切ってもきれない深い関係で結ばれています。

ご参拝の皆様には、輝かしい1年の始まりに愛らしい「なでうさぎ」を

撫でていただき、三輪の大神様との一層のご神縁をお結び下さい。

    三輪明神 大神神社 


三輪さんの
なでうさぎ 

山:古代の民間信仰では「神体山」後に『神奈備山」『三諸山」等

と称せられた。円錐型の山の形状から、古代人はとぐろを巻く

蛇の姿を感じとった。

岩:山中には祭祀を行った岩(磐座)があり、山頂付近のを奥津磐座

中腹のを中津磐座、麓付近のを辺津磐座という。

木:スギは神杉として御神木となっている。『万葉集』には杉の歌が

12首紹介され、そのうち9首が御神木として、中でもその内

の5首が『三輪の杉」として詠まれている。

動物:大神神社の祭神は大物主命であり、その姿は蛇である。( 『日本

書紀』にみる『箸墓伝説」) 
 山の辺文化講座 佐藤孝則氏 より

二の鳥居
ささゆりについて
 古事記によると、ささゆりの古名を「さゐ」といい、
この三輪山麓にはたくさんのさゆりが咲き誇っていたと記されている。


 御祓川(みそぎがわ・大神川)に架かる御手洗橋 。
地図
 御手洗橋を越えると、左に祓戸神社(はらえど)、夫婦岩、手水舎(てみずしゃ)がある。

手水舎 志るしの杉
 水を溜める手水盤は応永21年(1414年)の銘
があり、大変古い。
三輪山からの霊水を豊かにたたえている。
 手水舎の北側にある。三輪の七本杉の一つ。
七本杉には二本杉、衣掛杉、門杉、燈明杉、
おだまき杉があります。


鎮花祭(はなしずめのまつり)

十八日 午前十時三十分

鎮花祭は「薬まつり」とも呼ばれる疫病除けのお祭りです。.

古代には春に花が散るのに乗って疫神が分散し、病を起こすと

考えられたため、それを鎮める鎮花祭が行われました。

お祭りは本社で行われた後、引き続いて狭井神社で行われま

す。特殊神饌として三輪山に自生する薬草の「百合根」と
「忍
冬(すいかずら)」が供えられます。

社頭ではこのお祭りに併せて「鎮花御幣」や薬酒として重宝

される「忍冬酒」がこの期間限定で授与されます。


動画      大神神社⇒⇒⇒
 狭井神社から大神神社⇒⇒⇒
 全動画⇒⇒⇒    天理から桜井の順⇒⇒⇒