別宮土宮
別宮風宮
別宮多賀宮
下御井神社
豊受大神宮
亀石
火除橋
北御門鳥居
御厩
忌火屋
五丈殿・九丈殿
参道
三ツ石
別宮遥拝所
御正殿
神楽殿
第一鳥居
手水舎
清盛楠
勾玉池・奉納舞台
表参道火除橋

豊受大神宮(とようけだいじんぐう・外宮)地図

火除橋

北御門参道火除橋 参道を通り北御門鳥居へ


北御門鳥居


御厩(みうまや)

 皇室から牽進された馬を飼っている場所。
神馬は毎月1・11・21日に、紫地に白抜き
した菊花紋章の馬衣をつけて神前に見参する。


忌火屋殿(いみびやでん)

 忌火とは清浄なな火という意味。
霧妻造・板葺の建物。
朝夕の御饌や祭典の御饌(みけ)を調理する
ところ。
今も舞錐式の火鑚具で火を出して、
神事などに使っている。

 外宮正宮の北にあり、切妻造、
板葺の建物で、日別朝夕大御

饌祭(ひごとあさゆうおおみの)
御饌(お供えの食物)を毎日早朝
調理する所であるとと
もに、1月の
歳旦祭から12月の天長祭までの
すべてのお祭り
の御饌もここで調理
されます。
内宮の忌火屋殿は正宮の少し手前
に立っています。
 


五丈殿・九丈殿


参道


三ツ石


別宮遥拝所


御正殿

 祭神 豊受大神
 豊受大神は天照大御神の大御饌(食事)を司る。内宮創建から500年後に第21代雄略天皇の22年(478)
天照大御神のお告げにより、丹波の国から高倉山のふもと山田原に迎えられた。衣食住をはじめあらゆる産業
の守り神である。
豊受大神宮(外宮)正宮

 正殿は内宮と同じく唯一神明造で、四重の御垣に囲まれていますが、鰹木(かつおぎ)が9本と内宮より1本少なく、

千木の先端は垂直に切られているなどの違いがあります。また、東西の宝殿は正殿の前方に立っています。

亀石

 土宮・風宮・多賀宮にお参りの時にこの亀
の形をした石橋を渡ることになる。
亀ににているので亀石と呼ばれているが、
元は高倉山の頂上にある古墳(天岩戸とも
呼ばれる)入口の岩だったと伝わる。


外宮別宮 土宮


祭神
 大土乃祖神(おおつちのみおやのかみ)
 山田原の鎮守の神として祀られ、外宮創建後は宮域(きゅういき)
の地主の神としてお祀りされている。
 亀石を渡り右手にある。地主神である大土乃祖神(おおつちのみおやのかみ)
をまつる。

外宮別宮 風宮
祭神
 級長津彦命(しなつひこのみこと)
 級長戸辺命(しなどべのみこと)
 風の神を祀る。
鎌倉時代の元寇の時、
神風を吹かせて日本をお守りになった神として
知られている。
国難を救ったとして、末社から別宮に昇格した
また、農業に関係深い風と雨の順調を祈る。
 亀石を渡り左手にある。

別宮 多賀宮
 風宮前から98段の石段を上がった
ところにある。
祭神
豊受大神荒御魂
(とようけおおかみのあらみたま)
 外宮第一の別宮で、祭典のお供え物も正宮に準じて行われる。 山の頂にあるため古くから高宮(たかにみや)と呼ばれていた。

外宮所管社 下御井神社(しものみいのじんじゃ)
神々に供える水をくむ井戸で、上御井神社の予備とされている。
祭神 下御井鎮守神


神楽殿

御神楽(おかぐら)倭舞
 神饌をお供えして祝詞(のりと)を奏し、
お願ごとを大御神に取次をするのが御饌(みけ)である。
 これに雅楽を奏し舞楽を加えてご神慮を慰め、
より丁重の祈祷を行うのが御神楽である。
 参拝者の申し込みによって神楽が奉奏される。
 外宮の祭神である豊受大御神は、
天照大御神の御饌都神(食物を司る神)で衣食住を始めすべての産業の守護神として、
崇められている。
 お札やお守りも授与している。鎌倉風の屋根で入母屋造りの建物。





第一鳥居



手水舎

参拝まえに心身を清める。




清盛楠

 高さ10m、胸高直径3m余、樹齢約800年
平清盛が勅使として参向した時、冠に触れた
西側の枝を切らせたという。



勾玉池・奉納舞台

 明治22年(1889)に整備された
勾玉の形をした池。
花菖蒲で有名。
 池の北側の舞台では観月会などの行事
が行われる。

表参道火除橋