実相院・岩倉門跡 地図

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実相院

   
本尊 不動明王像
 本堂 (客殿)、車寄せ、四脚門は、東山天皇(1687〜1709)の中宮承秋門院
(しょうしゅうもんいん)の旧殿(大宮御所の建物)を
享保6年(1721)ころに移築し、現存する数少ない女院御所といわれている。
 天台5門跡の一つで、天皇ゆかりの宝物が多数収蔵されている。
 もと天台宗寺門派の門跡寺院、寛喜元年(1229)関白近衛基道(もとみち)の
孫静基(せいき)僧正の開基、寛永年間足利義昭の孫に
当たる義尊(ぎそん)が入寺、江戸時代に復興した。その後、後西天皇の皇子義延親王
が入寺、以来、宮門跡が続いた。寺運も栄えたが、
明治維新とともに衰退した。門跡寺院で岩倉門跡・実相院門跡ともいう。
 詳しく⇒⇒⇒ 
 磨かれた床に赤い紅葉が映る。これを床紅葉とよばれるようになった。また、
新緑のころは床みどりという。
 狩野派の襖絵と一仏八僧の庭で名高い。
 

岩倉門跡
   
岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせい)  地図
 文久2年(1862)9月から慶応3年(1867)までの5年間、明治維新に功績のあった岩倉具視が
幽棲したところである。
 具視は、幕末の騒乱に際して公武合体を進め、皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、倒幕急進
派の弾劾を受け、文久2年9月官職を辞し、西賀茂霊源寺で剃髪し、ここに蟄居した。慶応3年には
維新運動の中心となって活躍し、のち明治新政府の右大臣となった。
 現在、幽棲旧宅、文庫、管理人宅の三つの建物がある。旧宅は西北にあって平屋建茅葺と瓦葺の
二棟からなる。
 庭前には具視の遺髪塚とお手植えの松がある。  
 











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