坂本地図

伝教大師最澄上人産湯の井戸
 今より1300年ほど昔のこと平安時代の初に奈良の仏教とは異なった宗派の仏教が,
新しい息吹きとして唐(中国)より伝わった。
即ち天台真言の二宗派であった。
 桓武天皇の命令をうけて海を渡り唐に留学し天台山に登り,
仏教の奥義を学び帰国して比叡山に天台宗を開いた伝道大師最澄上人は767年8月18日に
この坂本の地でご誕生された。
 そのとき産湯の水として汲まれたのがこの井戸であると云われている。
 
 穴太衆積みの石垣
 坂本では、町の至る所に石垣を見ることができる。ほとんど手を加えない自然石の
石面を巧みに利用したこの石積みは「穴太衆積み」といわれている。一般に「穴太衆」
と呼ばれる、坂本穴太を本拠地とした石工集団の技術によって築かれた。

穴太衆積みの特徴
 石積みの技としては、大きく分けて、自然石を何の加工もせず、そのまま積む「野面
積み」と石の面を槌でたたいて、おおざっぱに加工した石を組み合わせて積む「打込み
ハギ」、のみで加工した石を間隙なく組み合わせて積む「切込みハギ」の三種類がある
と言われています。
 穴太積みは「野面積み」を代表する積み方で、一見粗野に見えますが、堅牢さは比類
ないものがある。その秘密は、積み石の比重のかけ方にあって、表面から3分の1奥の
ところに重力がかかるように設計されており、さらに土の水ぶくれによる崩壊を防ぐため、
石垣の奥に栗石層、その奥に小石をつめていくなどして排水を良くする工夫が施されて
いる。
 この様に目に見えない部分に、穴太積みならではの技が潜んでおり、それが何百年の
風雪に絶え得る堅牢さを生み出している。 
 

観光案内(比叡山延暦寺と門前町坂本の里)

 坂本は三塔十六谷、三千坊といわれる権勢をふるった

比叡山延暦寺の台所を預かる町として栄え琵琶湖に面し

た下阪本港が開け、都への交通の中継地となっていたた

め多くの物資が坂本へ集められ一大商業地としても繁栄

し、比叡山が日本仏教界に君臨し仏教の母山としての勢

力を持ちますます延暦寺の勢力は頂点に達してきた。こ

れを恐れた織田信長は自ら火を放ち全山を焼き討ちして

しまった。・・・しかし、その後信長は比叡山監視のため此

の地に居城を構えさせた明智光秀に弓を引かれようとは

・・・千古の歴史を秘めた延暦寺。すさまじい戦国の歴....

史の渦中にあった坂本。四季の風雪に耐えてきた坂本。 

今は豊かな自然に恵まれた静かな街並みからはとても想

像もつかない。  

 穴太衆積 大津市坂本 比叡山