西教寺地図

天台真盛宗総本山
本尊 阿弥陀如来像(重文・丈六)
 比叡山延暦寺日吉大社の門前町・坂本の北西部にたたずむ。
 全国に400余りの末寺を有する。
 7世紀の初めに聖徳太子が創建したと伝わる。その後、慈恵太子良源上人(通称元三大師)、恵心僧都(源信)らが10世紀に入山し栄えた。
 文明18年(1486)には、中興の祖で宗祖でもある真盛上人が入寺。堂塔と教法を再興し、阿弥陀仏の一心に称える不断念仏の道場とした。後年、上人を慕う人々が自然に集まったのが、真盛宗の始まりとなった。
 元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちで西教寺も焼失した。その際、寺の復興に尽力したのが明智光秀であった。坂本城の城主となった光秀は、城門や陣鐘を西教寺に寄進し、他の檀信徒と協力して仮本堂も建立した。境内には、光秀、内室の熙子(ひろこ)ら一族の墓がある。
  
 本堂は桁行7間、梁間6間、一重、入母屋造、本瓦葺の建物で、正面には3間の向拝をつけている。
 棟札によると、元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼討ちによる本堂焼失後、天正2年(1574)に本堂の再興棟上が行われた。その後享保3年(1717)に第20世の真際上人が再建に乗り出し、門末檀徒から浄財を集め、元文4年(1739)に落成した。
 正面の欄間や須弥壇はすべて欅の素木造りで豪華な彫刻を施している。
  本堂(重文)