石峰寺地図

 
 
 
 
 羅漢参道赤門
五百羅漢は若冲が下絵を描いて石工らに彫らせて造った
 
 
 江戸時代中期の画家。光琳派より宋・元の古画を学び、後写生を基礎として専ら動植物を描き特に鶏画家として有名である。
 京都の台所・錦小路にある裕福な青物問屋に生まれた。早くに父を亡くし、家業を継いだ。40歳で弟に譲ってからは絵に専念し、動植綵絵(さいえ)などの傑作を残した。彼は、仏画特に禅への並々ならぬ傾倒を示し、30歳代半ばより相国寺の大典禅師に参禅、若沖居士の号をえてから、ひたすら禁欲僧のような生活を守り生涯独身を貫き、子を残さなかった。 
 天明8年(1788)京都の市中を焼き尽くした天明の大火で、家も財産もすべてを失った。縁のある寺を転々とし、晩年隠棲者として石峰寺の古庵に住み、米一斗に一画を報い、斗米翁として、寛政12年9月10日85歳の生涯を閉じた。
 背後の山中には、若冲が下絵を描き石工に造らせた石仏群がある。
  参詣経路順に、来訪菩薩・出山の釈迦・十八羅漢・説法場・托鉢修行・諸羅漢座禅屈・涅槃場・賽の河原となっており、誕生から涅槃に至るまでの釈迦の一代記をあらわしている。  
 
 伊藤若冲の墓
(1716〜1800)
若冲の墓は、本堂の南側にある。墓石には「斗米庵若冲居士墓」晩年の
若冲が生活ののために、絵一枚を米一斗と交換していたことに由来する。
 黄檗宗  万福寺 茶碗子の水 
黄檗宗 万福寺 茶碗子の水 茶碗子の水