相国寺地図

   
 本堂(法堂・はっとう・重文)  総門
本尊 阿弥陀三尊仏
臨済宗相国寺派本山
写真追加⇒⇒⇒ 
 相国寺は、正しくは相国承天禅寺といい、山内に12の塔頭寺院と鹿苑寺、慈照寺、真如時を
山外塔頭をもつ臨済宗相国寺派の大本山。
 明徳3年(1392)、室町幕府三代将軍・足利義満が花の御所の隣接地に創建した寺で、夢想礎石
を勧請開山としている。禅宗寺院を統制管理する僧禄司(そうろくし)が置かれて禅宗行政の
中心地として発展し、京都五山の第二位に列せられている。
本堂
 無畏堂(むいどう)と称し、仏殿を兼ねている。豊臣秀頼によって再建されたもので、現存する
法堂の中では最古のものである。
 巨大なそり棟の高さ50mもある二重屋根、松の木陰にそびえている。
 天井には狩野光信による蟠龍図が描かれている。鳴き龍として有名である。  
無畏堂:畏れることなく法を説くための堂
 法堂天井画は、地にうずくまってどくろを巻き、まだ天に昇らない龍「蟠龍(ばんりゅう)」が
描かれている。狩野永徳の子・光信が描いたもので、堂内で手を打つとその反響音が天井から
降りる龍の鳴き声のように聞こえることから、通称「鳴き龍」として知られている。
 
 蟠龍(鳴龍)
松の大木のある三門址・仏殿址、
その奥に法堂が位置する。
宝塔
方丈 庫裡
方丈
 文化4年(1807)に再建された大規模な建築物(桁行25m、梁間16m)
 白砂だけが敷きつめられただけのシンプルな表方丈、
中央の深い谷で深山幽谷の雰囲気を表現した裏方丈。
庫裏
 庫裏は香積院(こうしゃくいん)と称し、大きい破風や壁画が印象的。
   
観音菩薩の絵は、法華経の経文で描かれている 
鐘楼
 鐘楼は一名洪音楼(こんおんろう)といい、
天保14年(1843)再建のものである。


 水上勉の小説「雁(がん)の寺」で知られる瑞春院、鶯宿梅(おうしゅくばい)のある林光院、足利義政の菩提寺の普広院(ふこういん)など12院の塔頭を数える。

 襖の孔雀(今尾景年筆)の親子絵を見て、自分と故郷の母を重ね、この絵を思い起こして「鴈の寺」を書いた。しかし、実際はこの孔雀を鴈と間違えてかいたことが、直木賞受賞後この寺を訪れて、はじめて分ったという。さらに、当時小僧の身分ででは入ることのできなかった隣の「上官の間」に、本当に鴈(上田萬秋筆)の襖絵があるのを見て背筋に水が流れたように感じた。
瑞春院(ずいしゅんいん))
 すでに故人であった夢窓疎石を開山とし、約144万坪という広大な寺域と共に創建された臨済宗相国派の大本山。
境内には13の塔頭寺院があり、鹿苑寺(金閣寺)慈照寺(銀閣寺)は山外塔頭である。
 相国寺の「相国」は「宰相」の意で、室町幕府の権勢の寺であった。
 相国寺は、祖父の尊氏が天竜寺を、亀山上皇が南禅寺をつくったのにならい、ときの三代将軍足利義満が「花の御所」の隣に、一大禅刹をつくろうとしたのが、始まりである。
 義満が明徳3年(1392)に創建した。義満は禅宗寺院を統括管理するための僧録司(そうろくし)を寺内の鹿苑院(ろくおんいん)に置いたため、将軍と直結した寺院として大きな力をもつにいたった。義満は応永6年(1399)には高さ109mといわれる七重塔を建てて盛大な落慶法要を営んだ。しかし4年後には落雷により大塔は焼失、再建、焼失する。
 至徳3年(1386)に幕府は南禅寺を五山の上として格上げし、相国寺を天龍山につぐ第二位に列した。
 足利義満は禅宗寺院を統制して僧侶の人事を管理する僧録司(そうろくし)の職を相国寺におき、住持が兼務した。 
 応仁の乱において相国寺は東軍の陣となり兵火で伽藍は全壊する。その後も、再建、全焼、をくり返し文化年間(1804〜18)に今日の伽藍となった。
 室町時代、ここは寺院行政を統括する寺であり、相国寺の「相国」は「宰相」の意で、室町幕府の権勢の寺であった。高官や文化人が花鳥風月にあそぶ、文雅のサロンでもあった。
 旧境内には戦国時代(16世紀半ば)に建物ごと築かれた防御用の堀、幅2〜3m、深さ0.5〜2m、南北方向に2本、東西方向に3本が走っている。
堀で囲まれた幅30〜45mの各区画には僧侶の住坊などがあった。戦国期の緊迫した情勢が伝わる。
16世紀の京都は、宗派対立から寺院が襲撃された「天文法華(てんぶんほっけ)の乱(1536)」が起き混乱が続いた時期。
 戦国期の寺院で区画ごとの掘割があるのは、他に東寺がある。
 義満は、応永6年(1399)相国寺の東側に、高さ約110mの七重大塔を建てた。しかし、落雷で焼失した。
応永13年(1404)、自分が住んでいた北山殿(金閣寺の前身)に塔を再建した。金閣寺⇒⇒⇒
   
 養源院 毘沙門天像(多聞天像)
 鎌倉時代の慶派仏師の作と伝わる170cmの寄木造りで、
左手に戟(げき)を掲げ、玉眼をはめこんだ眼光鋭い表情が
憤怒の相を示しながらも写実的で若々しいと云われている。
 伊藤若冲との縁も深く、この毘沙門天像の法要が相国寺で
行われた際に、若冲の代表作として有名な釈迦三尊像、
動植綵絵(さいえ)12幅が初めて一般に公開された。

養源院拝観の手引き⇒⇒⇒
 
 伊藤若冲の墓、後水尾天皇御歯髪塚
  江戸時代に活躍した奇想の画家 伊藤若冲(1716〜1800)は、
相国寺の大典禅師(だいてん)から禅や文芸の指導を受け、画業に専念。
代表作 動植綵絵(さいえ)を寄進するなど、相国寺とは縁の深い画家であった。
若冲は鶏をはじめ、さまざまな鳥を描くことを得意としていた。
錦市場⇒
 動画    相国寺の庭⇒
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