常寂光寺地図
本堂 |
日蓮宗 本尊 十界大曼荼羅 日禎(にってい)は日蓮宗不受布施派の日蓮宗僧で、豊臣秀吉の 大仏開眼供養の出仕を拒否してここに隠居した。それは日禎に帰依 していた角倉了以や小早川秀秋の援助による という。 |
日蓮宗の寺院である。慶長元年(一五九六)本圀寺十六世究竟院日槇 (くきょういん にっしん)が、この地に隠棲して開創した。 寺域が小倉山の中腹を占め、幽雅閑寂で",天台四土 いう常寂光土の 観があるところから常寂光時の寺名がつけられたといわれる。 本堂は伏見城の建物の一部を当寺二世通明院,,が移転修造したもの といわれる。 |
山門 | 多宝塔(重文) |
多宝塔(重要文化財)は京都の町衆辻藤兵衛射らが大檀那となって天和年間(1681〜84)に 寄進したものである。並尊閣といい、前面に霊元天皇の勅額を掲げている。 架線祠には定家・家隆・徳川家康の木造が祀られている。 山門のすぐ北に、江戸時代の数学者吉田光由(みつよし)の顕彰碑がある。その著書にちなみ 「塵劫記(じんこうき)と刻んだ自然石である。 |
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仁王門は珍しい茅葺屋根で、京都六条にあった本圀寺(ほんこくじ)客殿の南門を移転。仁王門 に至る参道のわきに藤原定家の時雨亭跡碑(推定)がある。仁王像は伝運慶作。 妙見堂は能勢妙見を分祀し、歌仙祠には藤原定家・.家隆の木像を安置する。 また、時雨亭は定家山荘がこの付近であるとして建てられたものである。 |
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本尊は十界曼荼羅。日蓮宗不受不施派本圀寺(ほんこくじ)16世日禎、秀吉の東山大仏の 開眼千僧供養を拒否してこの地に隠居し、そこを寺に改め、土地が常寂光土の感があるとし て寺名とした。寺地は親交がのあった角倉了以が提供し、小早川秀秋らが堂宇の建立を援助 した。2世日詔がさらに整備した。 |