第58代 光孝天皇(こうこう)地図

仁明天皇(第三皇子)
皇太后藤原沢子(藤原総継(ふさつぐ)の娘)
誕生 830年(天長7年) 
御名・異称…時康(トキヤス)・小松帝 
女御 班子(はんし)女王(皇太后) 立太子 … ―――
即位 884年(元慶8年)2.4 
在位年数 4年
崩御 887年((にん)()3年)8.26 (年齢58才)
皇居 平安宮    年号 (がん)(ぎょう)(にん)()
時の実力者であった藤原基経が、臣列に入っていた時康親王を皇位継承者にした。文徳天皇の異母弟である。
謙恭・寛大で信望が厚く、先の陽成天皇が武烈天皇に例えられたのとは大きな違いである。常陸太守等を経て皇位についたので民心を把握していた。天皇には即位するまでに、 数人の女御がいて29人の子があったが、藤原基経に遠慮してすべて臣籍降下させ源姓を与えた。
太政大臣基経に天皇への奏上や下命等のすべてはかるよう詔を出した。これを関白内覧と称している。(かか)わり(もう)すものの意味で、奏上は天覧の前に内覧を経よということである。後に太政大臣は天皇が幼い時は摂政、元服後は関白に任じられることを規定した。  
陵墓名 (のちの)()(むらの)(みささぎ)   円墳
所在地 京都市右京区宇多野馬場町
「日本紀略」によると、887年(仁和3年)9月2日、小松山陵に奉葬されたとしている。又、「延 喜諸陵式」は文徳天皇の田邑陵に対して後田邑陵としている。
1688年〜1703年(元禄年間)以降の検討で、仁和寺の西にあった天王塚と称する一墳を治定した。
1889年(明治22年)天王塚に確定して修理された。周囲約300mで四角、中に高さ約2.5m径約4mの小円墳がある。陵域内には別にもう一墳ある。