宇倍神社地図
拝殿 |
祭神 武内宿祢 |
因幡国一の宮 一の宮⇒⇒⇒ 葛城氏⇒⇒⇒ |
孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられる。平安時代に県下唯一の名神大社、古くより一の宮として信仰されてきた。 現在の社殿は明治31年に完成し、翌年には神社で最初に武内宿祢命と共に5円紙幣に載せられた。以後大正・昭和と 数回、社殿が5円・1円紙幣の図柄となった。 |
武内宿祢終焉の地碑 | 武内宿祢は、仁徳天皇55年3月因幡国の当社背後の亀金岡にて双履を残し、360余歳を以って 隠れられたとされる。 本殿の後にその霊跡と伝える石があり、双履跡(そうりせき)と呼ばれている。 |
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当社背後の亀金岡にて双履を残し360余歳を以って昇天された | ||
武内宿祢は孝元天皇の孫となる。子の7人の男子は大和朝廷に仕えた葛城氏、平群氏、蘇我氏、 巨勢氏、紀氏、波多氏、江沼氏の祖である。 |
1円札に武内宿祢肖像 | 裏面に宇倍神社拝殿の図 | 1円札の裏面にある図 |
飛翔の鳥 | 武内宿祢と後の応神天皇 | 福徳亀 |
東には中納言行平が百人一首に詠んだ稲葉山がなだらかに連なり、南には因幡国庁跡や奈良時代 の国司、大伴家持が万葉集に詠んだ歌碑があり、北には国指定史跡の鳥取藩主池田家墓所がある。 |
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七宝水 この水は平安時代に百人一首にも詠まれた、因幡山の中腹から湧き出る清水をここまで引いたもの。 古くから日本一長寿の神武内宿祢命由縁(ゆかり)があり、病を除き延命に霊験あらたかな水。 |
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立ちわかれいなばの山の峰におふる松とし聞かば今帰り来む 古今集 巻8 別離・365 中納言行平 百人一首⇒⇒⇒ |
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新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと) 巻20−4516 大伴家持 |
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