紀寺跡(きでら)地図
小山廃寺
伽藍配置比較⇒⇒⇒ |
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伽藍の配置は、二つの門・金堂・講堂が南北一直線に並び、回廊は中門 から講堂に取り付いて、金堂を囲む形となっている。 塔は明治の初めごろまで心礎が残っていたようで、金堂の前面の東側 にあったと考えられる。 このことから大官大寺に似ているが、塔をわざわざ中軸からはずしている ことから、西側にも塔を建てる計画があったともおもわれる。それであれば、 本薬師寺式になる可能性をも残しているといえよう。 |
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紀寺跡は、藤原京左京八条一坊に位置する。昭和四十年の発掘調査で、 金堂跡、講堂跡、中門跡、南大門跡、回廊跡、東西・東面の大垣、 寺域南側の道路などが確認された。ただ塔跡は不明。 紀寺跡 昭和四十九年、県営テニス場建設に伴って発掘調査されt。 創建は七世紀後半だが、藤原京以前。紀氏の氏寺、平城京・紀寺の前身 重弧文軒平瓦(じゅうこもんのきへらがわら)で、この組合わせを「紀寺式軒瓦」 と呼んでいる。 |