寿宝寺地図
寺の創建は不明であるが、寺伝では文武天皇の慶雲元年(704)創建と伝える。 古くは「山本大寺」と呼ばれ七堂伽藍を備えていたという。 度重なる木津川の氾濫により移転を繰り返し、享保17年(1732)現在地に移り、 明治初めの廃仏毀釈に際しては、近隣の寺々を合併した。 現在は高野山真言宗に属す。 本尊の十一面千手千眼観世音菩薩立像(重文)は等身大の素木造り(しらき)で、 平安時代後期の像。 高さ169.1cm 奈良・唐招提寺の千手観音などと共に千本近い腕を持つ。 元はここから1km南西にある式内社の佐牙神社(さが)の神宮寺に祀られていたものである。 神宮寺(恵日寺)が明治初めに廃寺となった際、五大明王のなかの降三世明王立像、 金剛夜叉明王立像(ともに平安時代後期)などとともにこの宝寿寺に移された。 この他聖徳太子立像(鎌倉時代・飯岡の蓮華寺から移された)がある。 十一面千手千眼観世音菩薩立像は葛井寺(ふじいてら・大阪)、唐招提寺の千手観音とともに 三大名作とされている。 |
十一面千手千眼観世音菩薩立像(重文) |
降三世明王 | 金剛夜叉明王 |
十一面千手千眼観世音菩薩立像(重文)は頭上に十一面をいただき、 左右にはそれぞれ五百手をもち、持ち物のない手には黒で目が印されてている。 千手観音も実際には42本というのが多い中でびっしりと無数の手、伏し目がちの顏立ち から、あらゆる人に手をさしのべ、救い切るという。 降三世明王立像は五大明王の一つ。三面八臂の忿怒相につくられ、左足で大自在天を、 右足でその妃を踏みつけている。 金剛夜叉明王立像は五大明王の一つ。三面六臂の忿怒相につくられる。牙をむき出す。 |