願成就院・大御堂(がんじょうじゅいん・おおみどう)地図

 時政を施主に運慶が1186年に造った本尊の阿弥陀如来坐像など5体が伝わる。
鎌倉幕府の有力御家人が運慶に依頼した最初の仏像だった。
 阿弥陀如来は像高142cm。ほおをたっぷり膨らませた丸い顔、厚い胸は堂々として重量感に満ち、両手のひじを曲げて胸の前で説法印を結ぶ。
衣のひだが奔放に、流れるように深く刻まれ、運慶30代の作と推定される。
 向かって左に不動明王と脇侍の二童子、右に毘沙門天が並ぶ。
この4体の目は水晶をはめた玉眼で、大きく見開き輝いている。対照的に本尊は彫眼で、伏し目がちに閉じて、瞑想しているように見える。当初は玉眼だったが、後世の修理で直されたという。
 運慶の真作と分かったのは1959年に神奈川県横須賀市の浄楽寺の阿弥陀三尊などが調査され、運慶作を示す銘札が見つかってからである。 
 平治の乱で平家に敗れた源頼朝はこの地に20年配流され、1180年に挙兵した。9年後7、頼朝が奥州に出兵する際、妻政子の父北条時政が戦勝祈願で建てたのが願成就院である。