徳迎山(とっこうざん)正法寺(しょうぼうじ)地図

 
   真言宗東寺派の寺で、奈良の唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟で、天平勝報6年(754)に鑑真和上とともに唐から来朝した智威大徳(ちい)がこの地で修練を行ったことに始まる。古くは春日禅坊と呼ばれたが、延暦年間(782〜806)に、伝教大師(最澄)が智威のい威光を世に示すため、大原寺(おおはらじ)という寺を創建した。応仁の戦火で焼失したが、江戸時代初期に、恵雲(えうん)・徴円(ちょうえん)の両律師により再建され、「西山のお大師さま」として古くから親しまれてきた。元禄年間(1688〜1703)には徳川5綱吉の代将軍の母・桂昌院の帰衣を受け、代々徳川家の祈願所となった。
 寺宝として、本尊・聖観世音菩薩(弘仁時代)、三面千手観世音菩薩(重文)をはじめ、貞和2年(1346)の銘がある地蔵菩薩、鎌倉初期の両界曼荼羅などの仏画、徳川家関係の古文書など蔵する。
境内には、全国各地から集められた名石があり、「石の寺」とも呼ばれている。特に、東山連峰を望む借景式山水庭園の「宝生苑」は、庭園が象、獅子、蛙、うさぎ、鳥、亀など動物の形に似ているため、「鳥獣の石庭」として親しまれている。   

徳迎山正法寺は今から約八二○年前、鎌倉時代の建久二年

(一 一九一)に、天台宗の寺として開創されました。当地に

八幡宮幣礼使として来往した鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国

が、本寺を開いたと寺蔵文書が伝えています。正法寺の第一

世は忠国の次男・願阿円誓。のちに清水という地名にちなん

で高田から志水と改姓し、本寺は志水氏の菩提寺となりまし

た。

本寺の隆盛を築いたのは、室町時代後期に住持となった聖

誉上人(浄土宗に改宗)と伝誉上人。ことに伝誉上人は後奈

良天皇の帰依を受け、天文十五年(一五四六)に勅願寺とな

りました。

江戸時代に志水宗清の娘お亀(相応院)が徳川家康の側室

となり、後の尾張藩祖・義直の母となります。その後本寺は

相応院の菩提寺となり、近世を通して尾張藩の厚い庇護を受

けてきました。

現在の伽藍は相応院の寄進によるもので、寛永六年

(一六二九)頃に建立されたものです。本堂・唐門・大方丈

(いずれも重要文化財)のほか、小方丈・書院・,鐘楼(いず

れも京都府指定文化財)など、近世前期の建物を当時の規模

そのままに保っています。


本堂(重要文化財)

正法寺本堂は、相応院の発願により建立されました。大棟

の鬼瓦にェ永六年(一六二九)の銘があり、本堂内部の荘厳

具にも寛永七年の銘があります。「落慶供養文」の記事とも

符合することから、寛永七年の初め頃に竣工したことが確認

できます。 

屋根瓦では降り棟に享保年間(一七一六〜一七三五)銘の

もの、稚子棟に天明八年(一七八八)銘のものがあり、その

頃に屋根葺替が行なわれたようです。軒は 二重。全国で唯一

本寺だけにある逆輪(さかわ)は、
箱のよう
な形状の金箔張り木製装飾品です。
本堂の四周の地垂木・飛檐垂
木(計七百本)の先端にかぶせら

れています。

本堂内部は外陣・内陣・脇陣・後陣からなり、内陣と外陣の境に

は腰高框を嵌め結界とする浄土宗本堂の典型的な建築となっ
ていま
す。
柱、斗?などには、極彩色の
装飾が施されています。


阿弥陀如来及両脇坐像

本寺本尊で、観音勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊像です。中

尊は来迎印を結び、結跏趺坐しています。藤原様式に則り全

体を巧みにまとめた像ですが、本寺開創時期から制作年代は

鎌倉初期(十二世紀末頃)と推測されます。後補の光背台座

には、寛永の修理銘があります。

中尊 像高九十六.二p、木造、彫眼、漆箔、白毫、肉髻珠。


唐門(重要文化財)

 唐破風造りと入母屋造りを組み合わせた屋根、親柱筋の牡

丹の透彫彫刻、桟唐戸の牡丹唐草の浮彫りなど装飾性豊かな

門です


大方丈(重要文化財)

大方丈には墨書や棟札がなく、建築の次期は定かではあり

ません。しかし寛永七年(一六三〇)の「落慶供養文」には,

本堂と同時に方丈が建てられたことが記されています。

本堂は南面ですが、大方丈は東方を正面にしています。禅

宗寺院の方丈の一般的な構成と同様で、後室中央は仏間にな

っています。襖絵図」や障壁画「琴棋書画図」の作者は、

狩野探幽につながる作家と推測されています。


小方丈(京都府指定文化財)

小方丈は高貴な方の休息の場です。床の間と上段の間を備

えた主室九畳、そして同じく十畳の次の間を中心とした構です。

建立年代は不詳ですが、
塔頭のお堂を移築したものであると言われています。

書院(京都府指定文化財)

宝永四年(一七〇七)、第十九世顕書上人の代に建立され

ました。西側に庭があり、床と付書院のある北側の部屋が一

の間、その南続きの部屋が二の間です。一の間には西側と北

側に広縁があり、障子や欄間などにも数奇屋風の意匠が見ら

れます。

鐘楼(京都府指定文化財)

下層を板で覆い、上層を彩色した袴腰付の鐘楼。建立は元

和七年(一六二一)。きわめて正統的な鐘楼で、釣鐘には慶

安年間(一六四八〜一六五一)の銘が入っています。


木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)

中品中生の説法印を結んで坐す巨大な像です。十三体の化仏を

配した光背も反りが少なく、四八○pに及ぶ大作です。
鎌倉時代の作。

もとは石清水八幡宮の本地仏であり男山山中の八角堂に安

置されていましたが、神仏分離令のあとの廃仏毀釈の際に当

時の正法寺住職が譲りうけました。

像高一一八三.〇p、檜材寄木造、彩色、彫眼、肉身部漆箔、
衣部彩色。