西寺跡地図

   
 西寺は、平安京に遷都されてからのすぐ延暦15年(796)頃から、平安京の入口
にあたる
 羅城門の西側に東寺(教王護国寺)と対称に造営された官寺である。
金堂、講堂(屋根には緑釉瓦が葺かれていた)を中心として南大門、中門、五重塔、
僧坊、食堂など主要な建物が建ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。
 しかし、西寺は東寺に比べて早くから衰え、天福元年(1233)には塔も焼失し、
以降は再興されることなく地中に埋もれてしまった。
近年、数多くの発堀調査が実施されて、主要な建物跡が次々と確認  され、一辺が22m
もある市内でも最大の井戸跡が検出されている。
 寺域は、東西二町(約250m)南北四町(約510m)を有し、主要伽藍跡は現在唐橋
小学校と西寺児童公園(講堂跡が公園中央に土塁として残る)の下にあり、伽藍中心部
は国の史跡に指定されている。 
     
 
 上から 食堂、僧坊、講堂、金堂、中門、南大門

西寺は、平安遷都に際し,都を仏法で護るため、今も残る東寺とともに創

建された官寺(国営寺院)で,平安京が造られた当初は,この2寺以外の寺

院の建立が禁じられていました。

敷地は東西約250 m,南北約510mにも及ぶ広大なもので,その南半に

金堂や五重塔をはじめとした主要堂宇が建ち並び,北半には寺の実務に関わ

る諸施設があったと考えられています。

その日本史上における重要性により,我が国で史跡指定が始まった大正

10年に早くも指定を受け、昭和41年には指定範囲の拡大が行われました。

東寺について  西寺発掘調査