羅城門跡地図

 山の辺の道 散策ガイド 飛鳥 散策ガイド  京都 散策ガイド 
 
   
   

 羅城門は平安京の正面玄関として、九条大路に面して設けられた巨大な門です。この門をくぐると、幅約80メートルを超える朱

雀大路が一直線に大内裏へ向かって伸びていました。羅城門は,おおよそ幅50メートル、高さ24メートル、奥行き21メートルと

推定され、平安京のシンボルでしたが、816年に大風で倒れました。その後、再建されたものの980年にまた暴風で倒れ、再建

されることなく姿を消してしまったのです。しかし、そのイメージは、今昔物語や謡曲、芥川龍之介の小説「羅生門」や黒澤明監督

の映画「羅生門」に受け継がれました。 

 1994年に開催された平安建都1200年記念展覧会「甦る平安京」では、京都府建築工業協同組合によって縮尺十分の一で

復元されたこの羅城門が展示され、平安京などの復元模型とともにひときわ衆目を集めました。京大工をはじめとした多くの職人が、

堂宮建築(神社や仏閣の優美で堂々とした木造建築)本来の技法にのっとって製作した羅城門模型は、実に千年余りの時を経て

現代京都の表玄関で、美しく荘厳なかつての姿そのままを再び私たちの前に現してくれています。

 
羅城門復元模型 花園児童公園内にある羅城門遺跡の石碑  羅城門
 この地は、平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通りに当たる)と九条通との交差点に当たり、
平安京の正面として羅城門が建てられていた。門は二層からなり、瓦ぶき屋上の棟には鴟尾が金色に輝き、
威風堂々として、宮城の正門たる容姿を備えていた。
 正面十丈六尺(約32m)、奥行二丈六尺(約8m)、内側、外側とも五段の石段があり、その外側に石橋があった。
嘉承3年(1107)正月、山陰地方に源義親を討伐した平正盛は、京中男女の盛大な歓迎の中をこの門から帰還しているが、
この門は平安京の正面玄関であるとともに、凱旋門でもあったわけである。
 しかし、平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともにこの門も次第に荒廃し、盗賊のすみかとなり、
数々の奇談を生んだ。
その話を取材した芥川龍之介の小説を映画化した「羅生門」は、
この門の名を世界的に有名にしたが、今は礎石もなく、わずかに明治28年建立の標石を残すのみである。

 羅城門の楼上に安置されていた兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてん・国宝)は、今も東寺にあり、憤怒の形相をたたえ、
魔物から守護してくれている。 
矢取地蔵前に羅城門跡の
道標があり、北に入る。
矢取地蔵

矢取地蔵尊

 本尊は矢取地蔵尊。石像で右肩に矢傷の跡が残っている。左手に宝珠,右手に錫状、矢を持っ。

かつては矢負地蔵とも呼ばれた。

天長元年(八二四年)、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。そのため淳和天皇の勅命

により、東寺空海(弘法大師)と西寺の守敏僧都神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。

先に守敏が祈祷するも雨は降らなかった。

対して、空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。

これにより守敏は空海を恨み、ついに空海を羅城門の近くで待ち伏せて矢を射かけた。する

と一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたため、空海は難を逃れた。

空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であったため、その後の人々はこの身代わり

地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。

現在の地蔵堂は明治十八年( 一八八五年)に、唐橋村(八条村)の人々により寄進され建立され

たものである。京都市

 桓武天皇が京都に都を移した際、朱雀大路を中心に右京と左京に分けた。
その朱雀大路の入口に、芥川龍之介の小説「羅生門」でも知られる羅城門址の
石碑が残る。
当時は、門の両側に東寺西寺を置き、門から入ろうとする災いから、
都を守っていたという。
 羅城門の東に建てられた東寺は、建立と同時に空海にあたえられ、
真言宗発展の根拠地となった。
一方、西に建てられた西寺は、早いうちに消失した。
守敏にまかされたが、再建されなかった。

護国の寺⇒⇒⇒

   
  
平安京のメインストリートである朱雀門大路の南端に設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に京の内外を分けた。弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後に再建されたが、天元3年(980)の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがなかった。11世紀前半に藤原道長が法成寺運営のため、門の疎石を持ち帰った記述が「小右記」にあり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿になっていたと思われる。 付近の発掘調査では、羅城門に関わる遺構は見つかっていないが、東寺の木造兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてん・国宝)や三彩鬼瓦(重文・京都国立博物館寄託)はこの門にあったものと伝えられている。