棡山 明通寺地図

   
  本堂(国宝)正嘉2年(1258)再建、鎌倉時代中期 単層入母屋造 檜皮葺 
  本尊 薬師如来坐像(重文)

降三世明王立像(重文)
深沙大将(重文)
不動明王立像(重文) 
真言宗御室派
 当持院は、平城天皇の御願寺として、大同元年(806)征夷大将軍坂上田村麻呂公がこのところに前五間、奥六間の本堂を建立し、
棡木の大木で半丈六の薬師如来坐像に七尺の降三世立像、同じく新沙大将立像の三体をつくり安置して棡山(ゆずりさん)
 明通寺(みょうつうじ)と名づけた。
  その後、数年を経て、三重塔、仁王門をはじめ他諸堂を次第に完備し、住持に僧坊が25坊を数えた。
しかしながら、創建後400年の内に三度の火難に遇い、創建当初のものは全て焼失してしまっている。
 その後、中興頼禅法印が正嘉2年(1258)現在の本堂、続いて文永7年(1270)三重塔を再建して以来今日に至るまで法灯耐える
ことなく、鎮護国歌、済世利民の祈祷場として隆盛を極めている。
     
     
 三重塔(国宝)文永7年(1270)再建 鎌倉時代中期 三間三層 檜皮葺 総高 22m  

 内陣 正面 釈迦三尊
     裏面 阿弥陀三尊
 外陣 壁・四本柱
     十二天像 壁画  
   
 
   
 国宝の仏塔一覧⇒⇒⇒
  動画  明通寺⇒⇒⇒ 
三重塔(国宝)写真集⇒⇒⇒ 
 
     
  吽形像
像高 188.5cm
 山門  阿形像(右)
像高 189cm 
木造金剛力士
 文永元年(1264)に造られた像と思われ、等身より少し大きい姿ですが、憤怒の表現も巧みであり体の肉取りも豊で気迫が感じられる。
 既に安置されて700年近く、侵入しようとする邪気を打ち払う大切な役目を担って寺の玄関口を守ってきた像です。
 各針葉樹材(檜材か)、寄木造り、彩色仕上げ、玉眼嵌入。
     
   
     
   かやの巨木