御嶽山 播州清水寺地図

 御開山法道仙人は印度の僧で、今より1800年前、人皇十二代景行天皇が治められ

ていた時に中国、朝鮮を経て、蓹嶽山に住まわれ鎮護国家豊作を祈願されました。

推古35年(627年)推古天皇勅願により、根本中堂が建立され、仙人一刀三礼の

秘仏十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像が安置されました。もともとこの

地は水に乏しく、仙人、水神に祈ったところ、霊泉が湧出し、その事に感謝して「清水寺

(きよみずでら)」と名付けられました。神亀2年(725年)聖武天皇は行基菩薩に勅願し

て大講堂を建立、永く経典の講義をする道場として、法灯を国中に輝かされました。

花山法皇西国御巡拝の時、ここを訪ねられ御詠されて以来、西国二十五番の札堂と

称するようになりました。 

     
根本中道
 本尊   十一面観世音菩薩
 脇士   毘沙門天王 吉祥天女
創建 
 推古天皇35年(627)本尊十一面観音は開山法道仙人一刀三札の秘宝、
お前立は東京芸大名誉教授菅原安男先生の昭和58年の作。
 推古天皇の勅願で金堂として創建。 現在の建物は大正2年の火災の後、
同6年京大武田五一博士の設計により当山上の桧木材にて再建。 
 
     
仁王門
 この楼門は依然には旧参道の頂上にあったが、昭和40年台風にて全壊。昭和55年末、
場所を変えてこの地に新築再建、神戸大学多淵敏樹教授の設計。
金剛力士像は大正10年奈良の仏師菅原大三郎氏の遺作。
 日本三清水寺の一つ播州清水寺。法道上人の開創。大正6年再建の12間4面の大講堂に本尊十一面千手観世音
が奉安されている。境内に根本中堂、おかげの井戸がある。
 
     
 
     

薬師堂

昭和59年11月3日再建落慶。創建は清盛の義母

「池の禅尼」。東京芸大籔内佐斗司教授作「十二神将」

が安置されています。 

       

大講堂

西国二十五番の札堂で、聖武天皇の

勅願所でもあります。神亀2年(725年)

創建。大正2年に焼失、同6年7月に

再建されました。 

   
   地蔵菩薩

地蔵堂

昭和57年11月3日再建落慶。神戸大学元副学長多淵

教授の設計。御本尊は昭和12年東京芸大菅原安男

名誉教授の作。

     

鐘楼

大正2年焼失。同9年再建。梵鐘も鋳造されました。

意匠は武田五一博士。銘は吉田天台座主。 

 滾浄水(こんじょうすい)
 おかげの井戸。開山法道仙人が水神に祈って
湧水した霊泉。「清水」と称される由緒の水。

多宝塔跡·他の諸堂跡

現在再建予定の多宝塔(大塔)は平清盛の武運長久

を祈願して祇園女御により建立されたと言われています。

常行堂は後白河法皇により、また阿弥陀堂は源頼朝に

より建立されたといわれています。

 京都·東山の清水寺が有名なため、こちらは「播州清水寺」の通称で知られる。しかしその

歴史は負けずに古そうだ。寺伝では627年、推古天皇の勅願で根本中堂が建立されたとされ

る。一方、12世紀(平安時代末)に成立した「今昔物語集」には、蔵明という僧が地蔵菩薩

のお告げに従って寺を開いた、という逸話が載っている。

 興味深いのは、京都の清水寺を開いた平安初期の武人·坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の
成功を
感謝して奉納したという大刀がこの寺に伝わっていることだ。

専門家の調査で、実際に平安時代の大刀だと分かり、国の重要文化財に指定された。

 1913 (大正2)年の大火では、西国三十三カ所札所である大講堂や根本中堂(本堂)ど主要な
建物が焼失し、現在の
大講堂は4年後に再建された。

本尊の十一面千手観音像 も近年修理され、金色に輝く立派な姿になった。脇侍は毘沙
地蔵菩薩。「普通は
不動明王が置かれる所にお地蔵さまがあるのは、『今昔物語集』が

伝えるように、地蔵信仰の聖地でもあったことに関係しているのでしょう」と住職の清水谷善
さんは説明してくれた。

 根本中堂の裏には、寺名の由来になった清水が今もわいている。薬師堂の薬師如来を守る
ーモラスな十二神将は、奈良の平城遷都1300年祭のマスコット「せんとくん」をデザイン

した彫刻家·籔内佐斗司さんの作品だ。「最近はこの神将を見に来る方も増えています」と
水谷さん。秋の紅葉の名所としても知られる。
  2008-11-21  朝日新聞 (今井邦彦)