音羽山 清水寺地図

左から三重塔(重文)、経堂(重文)、田村堂(開山堂・重文)、轟門(重文))朝倉堂(廻廊の奥・重文))、本堂(清水の舞台・国宝)
北法相宗総本山
西国三十三所観音霊場の第16番札所、洛陽三十三観音の第12番札所。
本尊 十一面千手千眼観音菩薩
国宝、世界遺産
延暦年間(782〜806)平安初期蝦夷征伐の武人坂上田村麻呂(東漢氏の子孫の一人)が建立した。
清水寺を開いたのは小嶋寺の僧賢心(けんしん)とされる。
現在の主な堂塔は寛永10年(1633)徳川家光の再建。
 京都・世界遺産⇒⇒⇒
三重塔(重文)と西門(重文) 本堂(国宝)
 寛永10年(1633)徳川家光によって再建された。
 金閣と双璧をなす京都の観光地である。  
 清水寺は、京都の中心に近いとはいえ、背後に東山三十六峰の一つ、音羽山(242.5m)を背負っている山寺である。
山の霊気が漂っている場所に祠が立てられ、それが寺に発展したといわれる。
 左右に裳階(もこし)をつけ、前方に両翼を出し、廂(ひさし)および舞台がこれに付属し、すべて桧皮葺の舞台つくりとなっている。
 清水の舞台を支える柱は139本、最長12mもあり、5階建てビルに匹敵する。
舞台には、観客席がなく観客が仏様から見られるようにつくられた舞台ともいえる。
本堂(国宝) 本堂(国宝)
 本堂は寛永10年4(1633)徳川家光の再建。檜皮葺。139本の大柱にささえられた舞台造りの建物。
 音羽の滝は三筋の水が流れる。 
         
   
 

重要文化財 三重塔

 この塔は 当山ご本尊観世音菩薩の御霊験よって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり 承和十四年

(八四七)葛井親王が勅命を奉じて創建されたと伝える現在の塔は寛永九年(一六三二)の再建で、日本

最大級の規模をもち、三間四方、高さ二九.七mに達す。昭和六十二年(一九八七)文化庁の助成をえ、

京都府教育委員会に委託して解体修理、彩色復元の落慶をみた。

一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像,四天丸柱に密教的な仏画を

描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天 、華型幾何文様が極彩色で全面荘厳されている。

なお今回の修理で全重を総丹塗りに戻し、他塔にその類例を見ない 各重の丸桁 台輪

長押などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元した。

一重で見ると、軒下の丸桁の両端は摩喝魚(まかつぎょ)中央は「金剛盤に宝珠」中段の台輪の両端は

出八双卍崩円竜」中帯は「向い蝶」下方の長押の両端は入八双若芽唐草」中帯は「四弁花

羯磨繋」の文様になっている。

 北法相宗清水寺


重要文化財 西門  江戸初期

 

 寛永八年(一六三一)の再建。三間一戸、正面八.七m、側面三.九m の優雅な八脚門

で、西面して急な石段上に建つ。

単層,切妻造り、桧皮葺き屋根で 正面には向拝をつけ、七段の木階を設け、床と共に

高欄をめぐらし、背面には軒唐破風を架ける大層珍しい形式になる。
軒は二重繁垂木、斗(ます)
ぐみは和様一手先出組み。

左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感ゆたかな持国天と増長天の立像を奉祀する。

開放されている中央の間は立派な折上小組格天井となり、また随所に勝れた蟇股,虹梁

木鼻などを多く備え、平成五年(一九九三)丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗

さを再現している。

拝殿風の華美なこの門からの京都市街,西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われた

が、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日

想観拝所となったとも考えられる。
前方の仁
王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。

 北法相宗清水寺

清水寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関

する条約に基づき、「占都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人

類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国

際的に認められたことになります。

清水寺は、『清水寺縁起』によると、宝亀9年(778)に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり

延暦17年(798)には坂上田村麻呂が仏殿を建立して桓武天皇の勅願寺となったと伝えます。創建後何度も火災

によって焼失しましたが、その都度再建され、現在は西門・三重塔・経堂・田村堂・.轟門・朝倉堂・本堂・

阿弥陀堂が東西に並び、そのほか周囲に仁王門・馬駐・鐘楼・北総門・釈迦堂・奥の院・子安塔・.鎮守堂(春

日社)、そして鎮守社の地主神社社殿が建っています。大半の建物は17世紀前半に再建されたものですが、こ

うした景観は13世紀には成立していました。

伽藍の中心となる本堂は寛永10年(1633)に再建された懸造の建物で、いわゆる「清水の舞台」として知ら

れ、林立する高い束柱に貫を縦横に通して豪快な姿をみせています。また、仏堂である石敷の内陣と礼堂で

ある板敷の外陣からなる本体に裳階、正面庇、翼廊、舞台がつくという平面や、その全体に寄棟造 ・檜皮葺

の大屋根をかける架構は、平安時代からの形を受け継ぐものです。

これらの建造物のほか、境内の東寄りには江戸時代初期の借景の技法を用いた成就院庭園が設けられてい

ます。なお、これらの周囲に広がる自然景観もみごとです。

登録年月  平成6年(1994)12月15日決定、17日登録

 京都市

子安塔(重文) 三重塔(重文)
高さ15m、桧皮葺、三重塔
重文
高さ31m、
重文

護国の寺⇒⇒⇒

濡れ手観音 石の玉垣にかこまれた濡れ手観音
 延暦3年に大和国高市郡の住僧延鎮が木津川上流にあった観音堂を東山に移したのを、坂上田村麻呂が深く帰依して、自分の八坂の邸宅を捨てて堂舎を建て、北観音寺と号したのが起源であるという。桓武天皇の大同元年(806)には、長岡京旧紫宸殿を本堂として音羽山清水寺と改め、ついで嵯峨天皇の弘仁2年(811)に鎮護国家の道場とし、それより歴代皇室の帰依が篤かった。またこの寺は長く真言・法相両宗を兼学して奈良の興福寺に属したが、北隣の祇園感神院は延暦寺に属していたのでたびたび両寺の大衆が衝突する場所となった。

 (清水寺は奈良の興福寺を本山とし、学問は奈良で、大衆信仰は京で、というように一種の分業体制になっていた。現在は、興福寺から独立して北法相宗の本山になっているが、はじめは興福寺に属して、法相宗と真言宗を兼宗していた。) 
音羽の滝
 管長であった大西良慶師が105歳の高齢を迎えられ、健康の秘訣は「何も健康法なんかあらへんの、観音様の音羽の滝のお水を毎日いただいているだけなの、あの水の中にはミネラルが仰山入ってて、それが身体によう効くの」とおっしゃったとか。
 かって清水寺のある音羽山の麓は鳥辺野(とりべの)といって死体が投げ捨てられた葬送の地であった。 
 六道参りという、先祖の霊を迎えようという参拝客が並んでいた六道珍皇寺の場所は、鳥辺野の入口あたり、あの世とこの世の接点だと言われてきたらしい。
  鴨川を越えて清水寺の中心部へ向かうと、清水坂の右手にひろがる広大な墓地だ。それは、野晒しの死体の群れだ。その死体を野犬が食べたり、鳥がついばんだりしている。
 まさに地獄絵図のような光景だ。参詣者はそうした地獄を五感で感じながら、清水への坂をのぼってゆくのだ。
 当時の清水寺は、まさに地獄の荒野からつきだした聖なる丘だったのだろう。そして、その地獄を通り抜けて来る人びと、あるいは地獄で喘いでいる人びとに向かって、その懐を大きく広げ、どんな人も受け入れ、どんな願いにも耳を傾け、叶えようとしたのが清水寺だ。

 さらに進むと奥の院である。ずいぶん古めかしい建物だが、ここには真言宗の開祖弘法大師空海像が安置されているのだ。
 そのほかに、大日如来地蔵菩薩不動明王も境内に祀られている。
 だから、清水寺は宗派にこだわらずにお参りできる寺なのである。多神教的といおうか、神仏混合的といおうか、とにかくいろいろな宗派が分け隔てなく肩を寄せ合って存在しているところに、この寺のおもしろさがあるといえるのかもしれない。
 
  百寺巡礼  五木寛之  より
 鳥辺野、船岡、さらぬ野辺にも、送る数多かるひはあれど、送らぬ日はなし」と、の野辺送りしない(人の死なない)日はないと徒然草に記されている。
鳥野辺の峰にはいつも煙がたなびいていた。
 鳥野辺は、東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰南麓にあった京の葬送地で行基(668〜749)が開いたと伝わっている。山麓に阿弥陀堂があったことから阿弥陀ヶ峰と呼ばれる。慶長4年(1599)山頂に豊臣秀吉の墓所が建立されてからは、清水寺の南、大谷本廟の背後に鳥野辺は移っている。
 毎年12月12日漢字の日に、今年の漢字として、はがきやインターネットを通じて応募された漢字で一番多いものが、ここ清水寺の貫主の手で発表される。
 愛・命・偽・変と続く。
 
祥雲青龍

めでたくも清水寺門前会が創立三十周年を迎

え、青龍会誕生して十五年を数える佳期に当た

り「祥雲青龍」舞い来たって、ここに瑞像が建

立されることを忝く致しました。

龍は想像上の動物ですが、インドの仏伝に登

場し、大海や地底にあって雲雨を自在にする仏

法の守護神であります。中国に伝わる四神説に

よれば、都の東方を守護する神は青龍でありま

す。まさにこの地は都の東方、仏法の霊地であ

り、青龍会誕生するも至当なことであります。

青龍会は、会奉行の総指揮のもと、先布令の

転法衆を先頭に夜叉神が観音加持を施し、四天

王に守られた龍衆によって捧げられた青龍が

「南無観」を唱える十六善神とともに、山内・

門前町を練り歩く大群会行であり、且つ参詣諸

人の家内安全、心願成就を祈念するものであり

ます。この祥雲青龍もまた願うところは同じ

清水寺門前会が精魂込め製作し、参詣者のいよ

いよの祥福を希うものであります。

かくも有難き瑞像が奉納されましたことに

厚く感謝申し上げます。

平成二十七年十二月吉日