美々津地図

重要伝統的建造物群保存地区

美々津軒
間取り参照⇒⇒⇒ 
 明治10年〜20年頃に建てられたものと考えられている。
平入り、本瓦、本2階建ての重厚な町家。
 玄関から裏庭まで続く土間(通り庭)にそって「店の間」の奥に
「座敷」と「茶の間」があり、
その北側に「表の間」、「中の間」、「奥座敷」の3室を配置している。
 2階には「座敷」、「奥の間」それに「納戸」が設けられている。
「納戸」には「奥の間」の押入れから出入りするようになっている。
  所在地:宮崎県日向市美々津町3328番地
 交易で栄えた美々津は、神武天皇のお船出地であるという伝説が
残されている。
 港町として、往時の姿をよくとどめている。
 江戸・明治時代の白壁土蔵の町並みが残る。
 関西との交流の主役となった廻船問屋の活躍が
「美々津千軒」と呼ばれた反映の歴史をもたらした。
 美々津は耳川が日向灘に注ぐ、ふるくからの港町である。
 國道10号線に美々津大橋があり、南橋詰に神武天皇が
東征の船出にあたって、海上の安全を祈願した立磐神社がある。
 天皇は、船出の伝承地であるここ日向の國美々津港より、
筑紫、宇沙、岡田宮、阿岐國、吉備國、
から浪速へ向かうが上陸せず、
河内の國の白肩之津着いたが戦いとなり、
熊野灘を回り荒ぶる神々との困難を経て、大和の國(奈良県)に入り、
辛酉の春(2月11日)橿原の宮に即位された。
 我が國では、この年を建国の時として、紀元元年としている。
廻船問屋 河内屋跡
 当時の美々津には、数多くの商家が軒を並べていたが、なかでも河内屋は有力な廻船問屋の一つに数えられていた。
河内屋は安政二年(1855)に建てられたもので、広い間口と奥行きをもち、構造上は平入造りに属し、一階南側に通り庭を築き、
正面には出窓とも呼ばれるのぞき窓で、夜には行灯を入れて街灯の役目を果たしていた出格子や,格子戸を設け
二階の正面には虫籠窓(むしこまど)を設けるなど典型的な商家造りの意匠を残している。

参考:奈良・今井町虫籠窓⇒⇒⇒
美々津まちなみセンター
もちおくり(持送)または、まつら ツキヌケ(防火地)
 「まつら」は構造的に梁を支えるだけでなく、豊かな装飾美がある。
 家の格式を表し棟梁としての「我が腕のみせどころ」を表現したもの。
職人として職業に魂を打ち込む根性、職人気質、この家の建築に従事した人達の「ほこり」がある。
 ツキヌケは江戸時代に設けられたものと伝えられており、港から南に延びる三本の主道路や、それらに直交するツキヌケと、
旧い敷地割りや石畳などとともに美々津の歴史的景観を構成する重要な要素になっている。
まちなみ防火センター 井戸 高札場
バンコ
縁台
banco(スペイン語)
bank(オランダ語)
石畳 箱階段
手前右が昔の石畳。この一角を守った一人の主婦によって、町の石畳が復活した。


 はじめて美々津を訪れた我々を、
佐藤さんが案内して下さった。(左から二人目)
「民」でお茶を飲んで記念撮影。