可愛山陵(えのやまのみささぎ)地図

 神亀山の頂上にあり方形墳の形で営まれている。
天津日高日子瓊瓊杵命の御陵と伝えられる、吾平町の吾平山陵、溝辺町の高屋山陵と共に、
神代三山陵の一つとされている。
日向神話関連図⇒⇒⇒
 川内市に入ると広々とした平野の中に、亀山或いは神亀山という小山がある。
山は東西に延び周囲約4km。
その形がちょうど亀の寝た姿に似ているのでその名がついたのであろう。
 瓊瓊杵命は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命萬幡豊秋津師比売命との間に、天火明命に続いて生まれた。
瓊瓊杵尊が天孫降臨神話の主役をなすのであるが、天照大神高御産巣日神が父神であるは忍穂耳命にお前が葦原中国へ降臨して治めよと命じた。ところが、忍穂耳命は自分の子の瓊瓊杵命の方が適当だと思う。申されたので、改めて瓊瓊杵命に天孫降臨・国土統治の神命が下された。
 そして、降臨された後大山津見神の女(むすめ)、木花之佐久夜毘売命と婚姻されて、火照命火須勢理命火遠理命を生んだ。
 火照命・火須勢理命・火遠理命は夫神の瓊瓊杵命に、一夜の交わりで妊娠したのを疑われた木花之佐久夜毘売命が、疑いを晴らすために産屋(うぶや)に火を放って、その中で生まれた三柱の御子達である。
 三神の名はもともと稲穂にちなんだ名であったが、母神の出産の故事に基いて火とつけられたと考えられる。穂(ほ)は火(ほ)と音が通うことから、火に託して稲の生育を物語ろうとしたものである。
 火照命は穂が赤く熟することを表し、火が照り輝くことを意味している。
 火須勢理命は穂の成熟が進む意味があり、また火が盛んに燃え立つことを表わしている。この神は名はつけられたものの、このまま神話から姿を消してしまっている。
 火遠理命は日本書紀の一書によれば火折命(ほおり)とある。この名の意味は、火の方からみると、火の勢いが弱まることであり、穂の方から解すると、稲穂が実って重く撓(たわ)むことである。日本書紀には火火出見と書かれており、穂からみると、穂がたくさん出て実るの意味、火の方で解せば産屋の火の中から出現された神という意味である。
 瓊瓊杵尊は高屋山陵に葬られているとされる彦火火出見尊(火遠理命)の御父君にあたり、高天原より初めてこの日本の國土においでになり、
この地に都を定められたという。
 陵上には老樹が茂る。
 御陵と壁一重の近く(向かって左側)に尊の
神霊を祀る新田神社がある。
 尊の皇霊は、高千穂のふもと霧島神宮
祀られている。a